wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中野等『太閤検地』

本日は枚方3コマ、ヘロヘロになりながら何とか終える。そんななかでの電車読書の備忘。めっきりこの分野には疎く、何となく衝動買いしたもの。理念系を設定するのではなく、秀吉検地を信長家臣の段階から晩年まで時代順に整理。安良城説が中核とする「一職支配」と「作合」否定政策という生産関係論・個別経営掌握ではなく、村の領域確定と村請の始動を期したものと評価、社会的「富」を「石高」として「石高」として把握し、軍役の単位とするとともに、大名・給人が「鉢植え」の領主となった点に最終的な帰結を見出したもの。段階的把握とその到達としての島津領・上杉旧領越後検地という展開は素人目にはわかりやすく勉強になった。ただ文禄末年の石高として整理されている『当代記』の播磨国35万8534石は、摂津国35万6069.1石・大和国44万8945.5石・近江国77万5379石などと比して少なすぎる印象を受け、同一時期ではないと一定の留保を加えながら有用な記録として評価するが、それでも違和感が残る。

太閤検地-秀吉が目指した国のかたち (中公新書 (2557))