wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

島薗進『国家神道と日本人』

絶望的にひどい本。内容自体は常識的で、国家神道神社神道のみでとらえるのではなく、皇室祭祀の重要性や学校教育における国民統合装置について強調したもので、前半部については前期の授業でほぼ同じ趣旨の内容を自身で講義もしている。ただし講義は安丸良夫・高木博志氏の研究に依拠したもので、著者の研究は全く参照していない。つまり著者自身のオリジナリティーはほとんど読み取れないにもかかわらず、通説を村上重良氏の著作に想定して、いかにも自著こそがそれを乗り越えるものと位置づけられているのである。岩波新書レベルでも村上氏『国家神道』70年の後に安丸氏『神々の明治維新』79年があり、前半部分についてはそれを超えるものではない。さすがに安丸氏の研究は引用されるrが、あたかも歴史学の異端のような位置づけでそれと別に通説があるかのように示唆されている。その上で1970年代までの歴史学の研究をイデオロギッシュに批判するのみで、高木氏や90年代以後の国民国家批判に関わる諸研究や、戦後体制に抵抗する人々に関する田中伸尚氏の靖国君が代に関わるルポルタージュについては全く無視してしまっている。自社の刊行物すら読まない編集者と、自身を絶対視する東大教授の合作がこのようなものを作り出すのだろう。こういう人どうしようもない「中世史」をかじったことがある人に仕事を依頼して、ますます幻想の知的自由な共同体を増幅させていくと想像すると、現在の学問状況の暗黒さはどうしようもなく思えてくる。書いても仕方ないのだがつぶやきとして残しておくhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1007/sin_k540.htm。たまたま恩師の著作集第1巻が手元に届いた。少しでも過去の研究に対して真摯に向き合う姿勢と学問の社会的責任の一翼を担うことの重みを学びたいと思う。