wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

繁沢敦子『原爆と検閲』

昨日は研究会のために久しぶりに電車に乗り、しばらくほったらかしにしていた電車読書を再開。会開始が14:00からだったため、近所の新本屋に立ち寄り数冊を衝動買いしてしまう。研究会は考古学を基軸としながら問題の全体構造がよく整理された報告で、たいへん勉強になる。私自身は文献資料の多数さにも関わらず未翻刻が大部分を占めること、権力構造の特殊性などから避けてきたのだが、やはり少しは取り組んでみなければならないと思った。懇親会は大川を見下ろすビア・ガーデンで思ったほど暑くなく、気持ちよく飲むことができた。客は圧倒的に女性が多く、帰途に隣駅で遭遇したコンサートとあわせて、休日の消費が女性によって支えられていることが改めて実感させられる。本書の著者も当方より2歳若い女性。外大卒業・読売新聞記者を退職して、広島市立大学平和研究所員・フリージャーナリスト・プロジューサーなどとして活動し、あとがきの謝辞から判断すると、シングルマザーらしきバイタリティーあふれた生き方。本書前半部分はきわめて実証的で、戦後第1陣として広島・長崎に入った米新聞社所属のジャーナリストが執筆した記事と、実際に新聞に掲載された記事とを対比し、何が避けられたのかをあぶり出す。一方でしばらくぶりに読んだ後半はアメリカ検閲制作全体の流れについて、自主検閲が重視されたことが論じられ、もともと記者たちに内面化されていたことが説明され、最後にそれぞれの記者のその後について触れられる。米の検閲についてはダワー『敗北を抱きしめて』でも触れられており(ただし私自身は孫引き)、全体の位置づけが弱い気がした。米で公開されている資料は膨大で、私のような思いつき読書では、なかなかそれぞれの著者がどれだけの範囲にまで踏みいっているのかが評価できないようだhttp://www.chuko.co.jp/shinsho/2010/06/102060.html。この一週間は研究の中身に踏み込む勉強ができずに終わってしまった。ブログでも書くと少しでも自己逃避時間を減らせるかと思ったが、なかなか期待通りにはいかないもの。明日からひたすら汗をかいて、体と頭をすっきりさせよう。お会いする方はよろしくお願いします。