wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

こつなぎ

本日見た映画のタイトルhttp://blog.livedoor.jp/kotsunagi/。いわゆる入会権裁判として著名な小繋事件(といっても漢字として知っていただけで、読みについてはこの映画関連で初めて知った)について、60年代に撮影されたフィルム・写真などがお蔵入りになっていたのを再構成し、現代の映像と行き来させながら制作された作品。2009年に1回上映されたのみでキネマ旬報ベストテン第二位、関西の上映会では「こつなぎ事件の今日性と、コモンズについて」(京都)・「入会・コモンズの思想」(神戸)といった講演会とセットとなり、大阪の上映会初日には春日直樹氏の講演会(これは一瞬の目の錯覚)があり、ということで期待して見に行ったhttp://www.cinenouveau.com/schedule/scheduleX1.html
結果は学問的には期待はずれであるとともに、衝撃を受けることになった。映画によると、もともと小繋集落は近世には峠の街村で旅籠・輸送などで生計を立てていたらしい。しかし近代になると鉄道が開通しその機能が失われる一方で、もともと中世以来の由緒を持つ寺院所有の山が売却され、最終的に茨城県那珂湊の人物が地主となったという。そのなかで小作契約を結んだ村人が山への立入が拒否され、入会訴訟の一方で分断工作で集落は分裂し、戦前には布施辰治、戦後には戒能通孝ら著名人の支援を受けながら、三度の裁判に敗れたという。とりわけ戦後にはさまざまな外部からの支援があり、その結果として当時の村の生活・盛岡でのジグザグ・デモなど貴重な記録が残されることになり、それはそれで大変興味深いものである。問題は近代以後の生業構造で、村人は山で何をしており(描かれたのは大火の後に家の建築資材を得たという説明のみ)、地主は何を求めていたのか(軍牧場を見込んだ投機目的でもともと売買されたようだが、それは実現しなかったようだ)、地主派村人が山の分割所有をすすめようとしたのは何故か、といった経済的事情は全くわからないまま、入会の重要性が語られるだけとなっている。しかも実写映像と説明では、かつては作物の種類が少なかったことが強調され、開墾が前向きに語られる一方で無惨な放棄地が示される、はげ山に杉が植林され手入れされないという山の末期状況が目につくだけになっている。そもそも戒能の入会権論に生業の視点があったかどうか確認してみる必要があるようだ。