wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

三谷博『維新史再考ー公儀・王政から集権・脱身分化へ』

本日は姫路で紀要の初校とりまとめと印刷所とのやり取り、編集を仰せつかっているため振替出勤。とりわけ再校は当方の担当で責任重大、先の拙稿でも初校直しが反映されていなかった箇所があり、人ごとではないところ。そんなこんなで電車読書のほうは分厚かった表題書をようやく読了。以前に「外来文化と日本の歴史」なる講義を担当した際に、幕末政治史の枠組み(非戦:鎖国→消極的開国、改革:尊皇攘夷→積極的開国)を利用させてもらったこともあり、衝動買いしてしまったものhttps://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912482017.html。ただ本書には色々違和感。あとがきをみるともともとそういう意図だったとのことだが、本文406頁のうち、127~304頁までが幕末の政治史、詳細な理解を持たない電車読書では細かすぎて非常に苦痛。逆に305~385頁までは維新改革が課題ごとに触れられているのだが、幕末にあった政治的対抗関係が後景に退き(岩倉使節団期の肥前・土佐派の台頭は興味深かった)、その画期性が強調されている。著者は維新が大きな犠牲者を出さなかったことを強調し、それはそうだと思うのだが、旧幕府側がもう少し抗戦しただけで情勢はかなり変動したはずで、その辺の説明が説得的とも思えなかった。また民衆運動、別の形での暴力の発露といえる廃仏毀釈については全く触れられておらず、余りにも成功体験として維新が描かれすぎている印象を受けた。おりから明治150年、これから起きることを考えるといろいろ危惧するところ。