wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

高谷知佳『「怪異」の政治社会学』

昨日は地域史244名・史料講読11名の定期試験、本日はようやく15回目の講義。日曜日の飲み会が尾を引いてぼぉっとしながらだったが、何とか表題書を読了。近年は専門書の購入意欲が衰えてしまったが、これぐらいはと思い書店で入手したものhttp://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586290。室町期の記録に頻出するさまざまな「怪異」現象について、10世紀頃に生まれた寺社が発信し政権が何らかの対応をとる「収集される怪異」に加え、、室町期には寺社が発信していないにもかかわらず、噂として広がる「風聞としての怪異」のメカニズムを明らかにし、さらに政権ではなく都市社会に発信された「都市社会に宣伝される怪異」が存在したとし、これを室町期の首都・京都社会の情報集中がもたらした、人々の「合理的」な思考と分析の結果として評価する。その上で戦国期にそれらがインフレーション化して機能不全に陥ることで姿を消し、政権と都市共同体という制度的な行政システムの登場によって衰退したと捉えたもの。全く知らなかったがもともと『書斎の窓』に一年間連載した原稿を加筆・改稿したとのことで全体の流れはクリアで、室町期京都社会のある断面を切り取ったものとして評価できる。ただし研究史的には神威のインフレーション化は清水克行氏流に解釈すると中世後期社会の特質とも理解でき、それ以前の酒井紀美氏の噂や夢の研究もそういう視野をもっており、都市社会に限定されるのかが問われるところ。とりわけ主要な史料が貴族の日記なのは気になるところで、『明月記』を除くとストイックに儀式ばかり記す鎌倉期の日記に対して、様々な情報を雑多に詰め込んだ室町期の日記は格好の分析材料になるのだろうが、当方のような「保守的」な都市研究者にとっては彼らを都市社会の住人と見なしてよいのかやや躊躇われるところ。なおデータ・ベースという用語が多用され、最後では現在のスマホとの関連すら示唆されているが、質の異なる多様な情報が行き交っていた状況を示す用語としては適当とは思われない。また「興福寺はよくよく頭に血が上っていた」など寺院が主語で出来事が語られているが、鎌倉後期以後の寺院社会の意思決定はかなりアナーキーで誤解を招く表現かと思われる。