片岡耕平『穢れと神国の中世』
春からのアレルギー症状が改善されず、今週もチョークで汚れた指で鼻を押さえながら講義をする始末。肌・髪・腹など一段階の老化が進みつつあるのが根本的な要因か。そうしたなか頭の老化が痛感されたのが、3月に衝動買いしてしまって授業準備用で後回しにしており、ようやく読了した本書で、なぜ評価されているのかさっぱり理解できなかったhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2585480。「穢観念が9世紀半ば以降に人為的につくり出された、いわゆる歴史的所産」(25頁)という立場をとりながら、以後の叙述は歴史過程をたどるのではなく非常に本質還元的に進められており、鎌倉期の天候不順を春日社の怪異と結びつけた過程と、11世紀前半の霖雨を「祇園四至葬送法師」によるものとされた事例について、歴史的段階差ではなく同じ論理のものとして処理されてしまっている。また行き着いた結論も蒙古襲来後の神国思想に<われわれ意識>=ナショナリズムの萌芽を見いだすというありきたりのもの。挙げ句の果てに「八幡愚童訓」の後に明治維新後の渡辺村の「賤称」廃止嘆願文書が並べられている始末。まだこれが一般向けのものならまだ理解できないわけでもないが、もったいつけた文章と、無駄に多い史料引用(春日社とのやりとりで官使の下向に関する官宣旨など、わざわざ書き下しにして全文引用する意味は全くない)、ルビが全く振られていないなどそういう配慮もされていない。穢と「穢悪き疫鬼」が概念上異なっているというのはそのとおりかもしれないが、それ以上に従来の研究史に対して著者の貢献がどこにあるのかさっぱりわからなかった。そういえば著者のいくつかの論文にも同様の印象を持ったことを思い出した。やはり老化が進んでいるようだ。唯一のメリットはもう一度9世紀に遡って検討しようというきっかけの一つになったことか。昨日から久しぶりに六国史を読んでいるが、感覚を取り戻すのに時間がかかりそうだ。