wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

栄原永遠男『万葉歌木簡を追う』

著者については何度も触れてきたように、実証的史料論に関する恩師で、本書もその真骨頂といえるものであるhttp://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=14293&prev=released。「難波津に咲くやこの花冬こもり今は春へと咲くやこのはな」というよく知られた歌が記された木簡の裏に別の歌が記されていたことを偶然発見してから、歌木簡という概念を生み出し、一つ一つの出土事例を実見してあらゆる可能性を考慮しながら最大限の情報を引き出し、それらを集成して長さ二尺以上のものに一行で書くAタイプと、それ以外のBタイプに区分される。そしてその出土場所と時期から七世紀中頃から十世紀前半頃まで各地で、長大な木簡の片面に万葉仮名で一行の歌を書くことが行われ、フォーマルな度合いの高い儀式・歌宴の場で詠み上げられていたことが明らかにされる。さらに木簡を持つ所作、音声の重要性にまで議論が展開されるとともに、両タイプの存在と万葉集に含まれていない歌の存在から、歌を享受する場の重層性と民間への広がりが指摘されるという、古代社会像にまで深められている。議論の骨子は最終講義で初めて聴いたもので、そのときも思ったが一見些細な問題が、最後には見事に昇華されており鮮やかとしかいいようがない。その途中には本書でも詳細に記されている現物の実見調査に対する執念があり、忙しい時間の合間を縫って納得のいくまで再調査を重ねるとともに、その行き帰りを勉強時間で利用できるようにバスには乗らないようにするなどすさまじいものがあり、これしかありえないという結論が導き出される前提となっている。史料を見た時に夢中になるのは歴史家の性のようなものだが、ここまで徹底ししかもあくまで客観的に捉えられるのは、本当に実証史家の見本というべき研究者だということが改めて痛感させられる。当方の怠惰な性格は救いようがないが、少しでも近づけるようになりたいものだ。なお著者は学生の面倒見もよく、飲み会でも今日はもう勉強しないと決めてつきあって頂ける方でもあることを付け加えておく。