wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

眼鏡壊れる

本日、何気ない動作で眼鏡のフレームが折れてしまうという大惨事。雨が降っていたので一番近い眼鏡屋に出かけたのだが、動転していたこともあって、高額のフレームを勧められるままに了承してしまう。たしかに着け心地はよく丈夫そうだったのだが、春の月収の三分の一を超える額という大出費。しかもサイバー攻撃で、遠近両用レンズの生産が滞っており、引き渡しは5月5日という始末。よく考えれば、レンズだけ持っていって別のフレームにつけてもらう可能性もあったのか。不幸中の幸いは10年程前につくった最初の遠近両用タイプが残っていたこと。度数も変わっており、不自由だがそれで凌ぐしかないというのが現状。

小宮山章・加藤正吾『森の来歴』

本日から近所のシニア・コースも始まり、春のルーティンが本格化。当初の見積もりより時間を費やしてしまっており、来週の準備も明日までずれ込む状況。そういうわけで、少しだけ残った電車読書を片付けておく。小宮山氏は1980年に岐阜大学農学部助手となり、研究室の専好生(著者の造語)とともに実施してきた美濃・飛騨の二次林4ヶ所・原生林2ヶ所の調査記録をまとめたもの。全体の植生図を作成した上で、100m四方の調査区を設定、そのなかの樹木のサイズ・年齢を測定し経過観察、聞き取り・文献調査を実施、それらとデータ分析で森の来歴を明らかにするというのが方法論とのこと。それにより軍馬の放牧地、鉱山に伴う炭焼き、明治維新・第二次大戦後の近郊林の過剰伐採、治山ダムの建設といった人工的契機、伊勢湾台風、白山の噴火といった自然的契機によって、対象とする森林群が形成されたという。その上で、放棄された広葉樹二次林は成長途上にある、樹種の喪失が起こると二次林は原生林に回帰しない、原生林は常に変わらないとはいえなさそうとされる。とりわけ開発による森林の分断化・病虫害の蔓延・野生動物による加害・阻害種による停滞による現代の混乱は著しく、観察を続ける必要が説かれる。林学による森林調査の方法がよくわかり勉強になった。ただ2000年に農学部助手(現在は改組された応用生物科学部准教授)となった加藤氏との執筆分担は明記されておらず、読後の印象はほぼ小宮山氏の単著。

京都大学学術出版会:森の来歴

「戦雲‐いくさふむ‐」

本日は中百舌鳥1限。帰路の梅田地下街が大改修で方向感覚を失ってしまったが、バスに乗り継ぎ、水曜割引を利用して表題の映画を鑑賞。近年急速に進む先島での自衛隊ミサイル基地建設を題材にしたドキュメンタリー。語りもつとめた「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」会長の女性の琉歌(石垣島のため本島とは異なるかもしれない)が達者で、発言も個性的。サイトによると戦争で家族4人を失い、英語を学び国際線の客室乗務員として働いた経験を有し、白保の新空港反対運動から環境保護平和運動に取り組まれているとのこと。ちょうど本日別の媒体でもお見かけしたが、なかなか興味深い人生。革新に札を入れたことはないという与那国島のカジキマグロの老漁師もいいアクセントになっていた。先日の岸田首相訪米で米の対中戦略のパシりとして雁字搦めで組み込まれ、まさにその最前線におかれた地域。ともかく不測の事態にならないことを願うばかり。

映画『戦雲 -いくさふむ-』公式サイト|三上智恵監督最新作

中野博文『暴力とポピュリズムのアメリカ史』

本日は枚方3コマ。花粉症が収束しない中、何とか無事終える。電車読書は1月衝動買いシリーズの最後でタイトル買いしたもの。2021年米国連邦議会襲撃事件を冒頭に配し、その主体となった合衆国憲法の悪政を行う政権を打倒するための武力を一般市民に保障したことで、設立が許されている民間武装団体としてのミリシアについて、その出発点となったイギリスが北米植民地を建設したときに設置されたミリシアから説き起こし、人民武装理念の史的展開として、歴史を辿ったもの。植民地で設立されたミリシアは全員参加の共和主義的性格を有する一方で、フロンティアでは先住民や他の列強の植民地との紛争を暴力的に解決する組織としてしばしば植民地政府にも反抗的姿勢をみせていた。独立革命の発端になったのも英軍がミリシアの武器を奪おうとしたことで、憲法修正第二条で「よく規律されたミリシアは、自由な国家の安全にとって必要であるので、人民が武器を保有し携帯する権利を侵してはならない」と規定された、その一方で遠征軍として大陸軍が存在し、反抗的で充分な訓練を受けていないミリシアは扱いにくいものだった。その結果、19世紀前半に全員参加から志願兵のミリシアになり、州政府が士官を任命する州軍と呼ばれるようになった。正規軍の規模を最低限できたのも、予備軍としての州軍が存在したことによる。その一方で専制政治と戦う市民組織としての側面も維持され、連邦政府への反抗、普通選挙後は政党との関係性を強化し、圧力団体としても機能する。しかし州軍が予備軍化したたため、公民権法が南部の州自治への介入とみなした人々が、連邦政府専制と戦う組織として民間ミリシア団体が設立され、2021年の事件に至るという。つまるところフロンティアにおける特権意識・暴力性を内包したままという独特の性格ということになるか。なお南北戦争における南軍の動き、その後のKKKあたりについてはもう少し説明が欲しかったところ。それとからむのだが、人種対立が少なく、まだ開発が十分に進んでいない地域として、ミシシッピがあげられ(142頁)、もろディープ・サウスのはずで違和感を感じ、115頁の地図を確認したところ、凡例「南部連合の奴隷州」が一つも存在せず、南軍地域が「連邦支配下準州」に充てられていた。とんでもないミスだと思うのだが、誰も指摘しなかったのか本日閲覧のHPにも訂正が表示されておらず。日本社会にまともに仕事ができる組織が一つでも残っているのだろうか・・・。

暴力とポピュリズムのアメリカ史 - 岩波書店

関西大学博物館「花開く大阪の文化」

本日観覧。古墳・契沖・大坂画壇のコレクションはこれまでも観たことがあったが、秀吉文書3点は初見。大工関係の書状・領知宛行・慶長の役がらみで最後の記述は具体的。秀頼黒印状もあった。

お知らせ|関西大学博物館

飯島渉『感染症の歴史学』

本日は組合執行委員会。課題は山積み、長年屋台骨を支えてきた方も近い将来の引退を表明され、前途多難の予感。そんな中、著者名をみて何も考えずに購入していた表題書を読了。著者について中国近代史における当該分野の専門家と認識していたが、「中国史の研究者として出発し、その後は感染症歴史学に関心を移した」(83頁)とあり、まず同時代の現状記録として「新型コロナのパンデミック」を扱った上で、天然痘・ペスト・マラリアと古代以来の世界的な感染症にまつわるトピックを紹介し、最後に「疫病史観をこえて」として、「感染症が歴史を変えたのではなく、感染症の衝撃の中で、人間が社会を変えた」として、「衝撃の程度や内容、変化のあり方やその理由をていねいに明らかにすることが、感染症歴史学の課題」だとされる。個々の出来事にとらわれすぎることなく、全体像を俯瞰的に捉えるべきという戒めとして、肝に銘じておきたい。また資料保存の重要性が強調され、著者自身が学術会議の「新型コロナウイルス感染症パンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承のために」との提言に関わったとのこと。こちらも重要な視点で、全体として個別知識を伝えるというより、歴史学の方法論を提示する書。

感染症の歴史学 - 岩波書店

「ミッドサマー ディレクターズカット版」

近所の映画館で一週間限定上映をしていたので鑑賞。文化人類学のフィールドワーク心得的な論及を見かけたこともあって、出かけたもの・・・。実際は単なるホラー映画として構想されたもので、アメリカ人の大学院生グループが現地を訪れたのも、現地出身者が意図的に引き入れたのが理由。確かにこれをしたら問題になるという行為が描かれていたが、逆にほぼ次に何が起こるかは観ていて予測可能で、こんなものだったのかという感覚。観客はほぼほぼ若い男女が一人で来ており、当方が最年長か。

ミッドサマー ディレクターズカット版 : 作品情報 - 映画.com