wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

清水克行『日本神判史』

中世後期から近世初頭に行われた湯起請(熱湯に手をつけてやけどの有無で判断)・鉄火(熱した鉄をつかみ~)を神判として、その背景にある観念を分析。本書の最大の成果は、事例の集積(巻末に表あり)により両者が流行した時期が明確になったことで、湯起請は15世紀、鉄火は1600年前後の40年ほどの時期に集中することである。著者はその要因を神仏の権威が揺らぐ中でより過激な方法で神慮が問われるようになったが、結局は廃れたと評価する。大枠で見て誤っていないとは思うが、それだけで説明できるかは疑問がある。特に村落間における山野相論に多用されたことについては、もう少し踏み込んだ議論が必要ではないかhttp://www.chuko.co.jp/shinsho/2010/05/102058.html。なお著者の神判理解で決定的に誤っているのは、ヨーロッパ中世では熱湯などの神判がキリスト教会によって否定された後も、同じく神判的性格を有する決闘裁判が16世紀まで存続した事実を無視している点である。山内進『決闘裁判』http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=149516Xという優れた概説書があるにも関わらず、解せないところである。同じくフェーデの展開した社会でありながら、日本でなぜ決闘裁判(古代にはそれらしい説話が残っている)が成立しなかったかは大きな問題となろう。相変わらず不摂生が直らず、昨晩もワールドカップをつけっぱなしで寝てしまい、今日の通勤往復も半分以上は寝てしまった。立て直せないまま、とうとう締切すらすぎてしまう。