wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

あべのハルカス美術館「高野山の名宝」

本日午前中は金曜3限の振替定期試験。すでに旧カリキュラムのみになっていたため登録14名・受験者は9名のみで採点は楽。その一方で昨日ようやく採点を終えたはずの300名越えのほうは偏差が開きすぎたため、もう一度やり直さないといけない羽目に。完全なミス。ただせっかく出かけたので、帰路に表題展覧会を見学してきたhttp://www.aham.jp/exhibition/future/kouyasan/。出品数の割に観覧料は高かったのだが、ネットの目録で後醍醐手印の御朱印縁起が前期のみ展示されているのを確認したため、チケット屋でみつけた招待券を購入しておいたもの。官符と後醍醐の手印、三条公明・四条隆資の署判は確認できたが、「原本」にある絵図はなかった。一度「原本」も見てみたいものだが、開創1200年でも全く公開される気配はないらしい。また出品目録で金剛峯寺蔵の慶派の仏像が多数あり謎だったのだが、運慶作八大童子像6躯はもともと一心院本堂にあり不動堂に移されたもの。快慶作四天王像などは新別所から六角経蔵に移されたもので、快慶作執金剛立像は修理された際に重源筆の陀羅尼が見つかったとのことでそれも展示されていた。何れもさすがの優品だが、金剛峯寺は近代としてその前の場所にどの時点で移動したのかは高野山史を考える上で興味深いところ。観客も熟覧に困るほどではなかったため堪能できた。また置いてあったチラシで知ったのだが24Fの大阪芸術大学スカイキャンパスで中世絵図2枚の複製と近世絵図5枚の原本ほかと、重要文化的景観「日根荘大木の農村景観」の映像資料が流されていたhttp://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/whatsnew/art_exhibition/index.html#anchor_scroll_51。ガラスケースが水平のため大きさが実感できる点がありがたく、2枚の中世絵図がほぼ同じサイズだということも失念していた。なお入場無料で豪華パンフレットもいただいたが、学芸員氏の窮状を考えるとお金の出所が気になるところ(こちらは明日まで)。