wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

新春史跡巡り

この10年来、正月は1日夕方に帰省、2日・3日の午前中は箱根駅伝、午後は散歩で、3日夜に戻るというのが慣例化している。今年は2日はいつもより早めの五区がはじまるころに出かけて、電車・バスを乗り継いで滝畑に向かう。高校時代には駅伝大会でダム周辺を走ったが、歴史については全く理解していなかった。それが再び意識化されることになったのは宮本常一『忘れられた日本人』を読んでから。さらに山林資源に関心を持つようになってから光滝炭(天野炭)が中世以来の特産品だったことに気づき、一度は廻らなければならないと思っていた。改めて調べてみると直通のバスが通るようになり(以前はなかった)、史跡・文化財を紹介したHPもできているhttp://www.city.kawachinagano.lg.jp/static/kakuka/kyousha/history-hp/index.htm。そういうわけでふるさた文化財の森センター(当然休館だが、外から移築された萱葺の民家は見ることができる)・天神社・光滝寺を廻ったのだが、帰りのバスまで一時間ほど余らしてしまった。仕方がないので槙尾寺に向かう山路を登り、槙尾山がみえるところまで行って引き返すことに。みぞれ交じりの天候ということもあってほとんど人に会うこともなかったが念願を果たすことができた。ただし左近家住宅(かの左近翁と関係?)を探し出すことができなかったのは残念。続く3日は電車で千早口駅まで向かい下岩瀬薬師寺五輪塔をみてから高野街道を歩いて自宅まで戻ったが、改めて長野が非常に低地に立地していることが認識でき、水運の問題を考える必要があることが実感できた。写真は左が滝畑天神社本殿で、現行は17世紀初頭の建立だが、興国6年を最古にそれ以前の棟札が多数残されているということで、部材も室町に遡るものが利用されているという。右はこの地域では珍しい暦応4年という北朝年号が刻まれた薬師寺イメージ 1イメージ 2五輪塔