wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』

本日は講義の最中に花粉症で鼻水が出だし、何を考えたのか終了時間を勘違いして10分近く早く終えてしまった。先週は閉まっていた図書館で調べ物を始めると怪我の功名か思いがけず膨らみはじめ、花粉症のこともあったので北山へは行かずにこもり、四天王寺関係の史料を集めることにした。先週の報告の質問とも関わっていたため間に合わなかったのは残念だが、まだまだ広がりはありそうだ。講義の手応えは今イチで、本日も配った紙が余っていても足らないところに廻すという発想すらなくあきれたが、図書館はさすがに充実しており来年も続けばよいのだが・・・。電車読書のほうは「人類の歴史」が来月から近代に突入するということもあり、書店で見かけて購入してみたものhttp://www.nhk-book.co.jp/ns/detail/201110_1.html。日本の知識人の反ナショナリズムについて、グローバル化による国内労働者の貧困化を批判できずむしろ肯定するイデオロギーになっていると批判。「国家が国民の生活を保障すべき」というナショナリズムの原理が機能しなくなればなるほど、むしろ社会的排除されている層のナショナルアイデンティテが活性化する例として「若者の右傾化」現象を捉え、ナショナリズムのヒステリー化に抗うためのナショナリズムが必要と説く。その上で国民国家をアンダーソンの「想像の共同体」という用語を肥大化させた観念論的な理解ではなく、ウェーバー的な暴力を独占する主権国家として把握。国家による合法的な暴力の独占をなくすことはできないと、西川長夫・上野千鶴子ネグリ=ハートの言説を批判。その上で資本主義と国民国家の関係は内在的で、グローバル化国民国家という形式までもが解体されることはないとし、国内経済を保全するようなナショナルな経済政策が、国民国家ファシズムに向かわせないためには不可欠なのだとする。全体の主張は明確かつ現実的で、国家の消滅は革命の一瞬にしか起こりえない祝祭だというのは西川の近著を読んだ時にも思った。これまで不勉強だったが、某学会に著者が招かれた理由もよく分かった。ただし歴史的に形成される国民国家は多様であり、歴史研究においては原理よりもその内実を問うことこそが必要だろう。国民を保護しない戦前日本のような国民国家もあり得たし、日本資本が日本を見捨てる可能性も皆無とはいえないはずである。