wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

貫成人『歴史の哲学』

結局、年内は授業準備とシラバスなど書類作成などで終わってしまった。本日は少し時間が余ったので、秋に書店で見かけ、一週間見送った後に思い切って購入した本書を読了する。数年前に大々的に取り上げられた歴史学を「物語論」とする見方に対して、哲学史をさかのぼって考察したうえで、あらたな展望を示したもの。歴史叙述が一般の文章と異なり、当事者には不可能な出来事と帰結を関係づける特権性にあることを示し、19世紀の歴史哲学から、20世紀に自然科学の法則的説明に対抗するものとして登場したのが物語論だとする。その上で一時しきりにいわれたような物語論はフィクションと区別できないようなものではなく、自然科学と同様に全面的改訂可能・素朴認識論批判など共通する一方で、物語的歴史叙述の外部が存在し得ないという問題点を指摘して、その背景に19世紀の国民国家成立と歴史学の成立が相関関係にあったことに求められる。その上で物語論を超えるものとしてフーコー・アナール(ブローデル)などを評価し、ヘーゲル的な起源・本質・必然・進化・発展・連続・普遍・主体などの概念を否定し、歴史システムは、もともと差異が存在することによって創発的に生まれた諸地域/世界システムが、相互の共振や対抗の中でさらに変動し、部分が全体を、全体が部分を変形しながら、より攘夷のシステムが生まれる複雑系システムであったというhttp://www.keisoshobo.co.jp/book/b68001.html。最近の理論ではわりとよく眼にするもので、叙述はわかりやすい。実際に歴史研究に従事している立場からしても、確かにシステム論的な方法は魅力的ではあるのだが、どう具体化するかとなるとなかなか難しいところ。何とか次の論文で少しでもその方向を示したいと思う。
追記 名前からピンとくるかと思うが著者の父親は日本中世史研究者。