wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

奈良国立博物館「鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」

本日は野暮用で出かける必要があったため、ついでに足を伸ばし奈良へ。実は律宗について少し書いているにもかかわらず、HPもみるまで唐招提寺中興の祖とされる覚盛について全く意識していなかったため出かけたものhttps://www.narahaku.go.jp/exhibition/2019toku/kakujo/kakujo_index.html。展示そのものはこぢんまりしたものだったが、書写経典・豪華に装飾された料紙に記された願文・骨蔵器、応永まで降るとはいえ叡尊像が形式モデルという等身大の座像などがあり興味深いもの。また野尻忠「鎌倉時代唐招提寺と戒律復興」・佐藤亜聖「唐招提寺西方院所在の證玄五輪塔と出土骨蔵器について」・吉澤悟「證玄と忍性の骨蔵器」といった論考が掲載されている図録も刊行されている。覚盛は唐招提寺入寺五年で57歳で亡くなったため、事業は證玄に引き継がれることになったが、興福寺で行った講義を叡尊が聴講しているなど、南都律宗のさきがけで、骨蔵器・座像など律宗様式の成立も勉強になった。参考文献にあげられているものは昔いくつか読んでいるはずなのに情けない限り。なお同時開催の「お水取り」では義満の参籠に関する「掃治」の記録があり(続きに実施主体が書かれているはずだが…)、使用する道具類が天正の「弥七寄進」をはじめ民衆レベルの寄進でまかなわれているというのも興味深い。また新館スペースが余ったため仏教美術ということでとんでもないものが多数展示。なかでも驚いたのが蒙古襲来関連と思われる弘安11年の「大神宮正体」(なぜか室生寺蔵)、出雲市荻杼町から出土したという常滑の大甕に入っていたという超高級品で関係の青磁椀・皿。何れも重文ということだが、ここでも自らの無知をさらけ出す。なら仏像館も盛りだくさんでとにかく勉強させてもらった。なお客層の半分は訪日客、チケットもぎりの際ににいちいちマナーの説明があり、待たされるのは初めての経験。写真は興福寺中金堂。再建工事が完成していたのも初めて知った。
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