wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

白波瀬達也『貧困と地域』

本日は姫路で新年度の辞令交付など。当方も週二日の雇用が継続したが、昨年秋から一緒に仕事をしていた事務職の方が退職し(仕事のさばきが鮮やかだったが、高齢を理由に身を引かれてしまい残念)、全体の人事異動も結構あったのでかなり風景が変わった印象。これまで全く経験しなかった環境なので、今年もいろいろ勉強させてもらうことになるだろう。電車読書のほうは、大阪ネタということもあって衝動買いしたものを読了http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/02/102422.html。副題に「あいりん地区から見る高齢化と孤立死」とあるように、大阪市西成区あいりん地区(JR・南海新今宮駅南側一帯)の歴史と現状についての報告。地区の前身は、内国勧業博覧会のスラムクリアランスがきっかけでうまれた木賃宿・スラム街だった地域で、1961年の第一次釜ヶ崎暴動を契機とした大阪府大阪市の貧困封じ込め政策の結果1966年に地区指定。当時は多数の子どもも生活していたが、家族世帯の脱出と大阪万博などの労働力需要により、単身日雇い労働者の町に変貌。その背景には新左翼系党派・キリスト教団体の活動と当局との対峙から相次いで公園が封鎖されるなど子育て環境の悪化もあった。バブル期にはますます労働者が集中する一方で、警察と暴力団の癒着から1990年には17年ぶりの暴動も発生。バブル崩壊後は簡易宿泊所を利用できない野宿者があふれ、2002年以降はホームレス対策により生活保護世帯が急増し、財政負担になるとともに孤独死が深刻化している。また橋下徹(*著者の表現)の西成特区構想は地区再生に取り組んできた人々が協力するボトムアップ的性格を有する一方で、強い管理と外国人旅行者集客によるかれらの排除も危惧されているという。当方は南海沿線で育ったため地区イメージは何となくあり、大学院時代には今宮高校の宿直というバイトがあることを知っていたが、戦後史の展開の中での地区の通史は勉強になった。また孤独死が避けられない当方にとって、後半で突きつけられている問題は人ごとではないところ。また「萩ノ茶屋」が読めないらしい橋下徹の西成特区構想が全くの思いつきではなかったというのも初めて知った。なお著者は大学院進学の2003年から同所に関わり、2007~2013年(あとがきは2012年とあるが、まえがきは2012年度とあり、13年3月が正確のよう)まで西成市民館で相談援助活動に従事、2013年4月から関学社会学部の教員という。