wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

兵庫県立歴史博物館「人間国宝桂米朝とその時代」

本日は姫路、朝立ち寄るスーパーの弁当コーナーが恵方巻きばかりになっていたため、昼食は久しぶりの丸かぶり(いつからかは定かではないが、少なくとも中学生時代には食べていた記憶がある)。少し駆け足だったが昼食休憩の間に表題の展覧会を観覧https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/official/ex-2016-sp3.html。少しばかり裏事情を記すと(図録には書かれている)、大陸生まれ姫路育ちの米朝師匠の三男が考古学専攻で、たまたま当博物館に転勤してきたことをきっかけとして開催されることになったもの。姫路の実家も空襲に遭っているのだが、非常に物持ちがよくしかも筆まめだったため、小中学生の成績表や作文、陸軍療養所時代に記された日記・手書き原稿、戦後の勤め人時代の同人誌、古典落語研究にかかわるノート類、初期のラジオ出演時の給与袋など、非常に多数の資料類をみることができ貴重(しぼるのが大変だったらしい…)。また戦後の関西芸能史としても興味深い資料が多数あり、戦前の大東文化院在学中に師事した東京の演芸評論家正岡容を通じて小沢昭一などとの交流が続けられ、東京の寄席に唯一「上方落語」を冠して高座に上がるポスターも目を引くところ。やはりその残した業績は非情に大きいと感じる。ただし残念だったのが「九条の会・おおさか」の呼びかけ人であった事実がhttp://osaka9.org/%e5%91%bc%e3%81%b3%e3%81%8b%e3%81%91%e4%ba%ba/、年譜も含めて全く触れられていなかったこと。軍隊経験を有し、一度は廃れた上方落語復活に尽力した生涯と、呼びかけ人として名前を出したことは切り離せないと思われる。同会そのものが、やしきたかじん橋下徹が席巻する以前の代表的な大阪文化人が名を連ねており、戦後関西芸能史を考える上で重要なもの。なお手元に何枚か招待券がありますので、必要な方はお声がけ下さい。来年度後期にK大の非常勤を引き受けたのだが、16回のうち試験2回ではなく、8回完結でシラバスを記さなければならないことを知る。教養講義はこれまで8~10回中世史がらみを取り上げ、前後を付けていたのだが、どうもそれでは成り立たないようで、何とかしなければならない。