wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

羽田正編『海から見た歴史』

本日は難航している論文打開のために五日ぶりに電車に乗って図書館巡りなどに当てる。いくつかの裏を取ることはできたが、伊勢山田の善光寺が全く出てこない。匿名ブログ情報なら大当たりなのだが、活字媒体で御存知の方がおられましたら、ご教示下さい。そういうわけで電車読書が進行し、途切れ途切れに読み進めていた表題書を読了するhttp://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-025141-9.html。大規模科研を母胎とする「東アジア海域史研究会」による概説だが、二つの点で通常とは異なったスタイルがとられている。一点目はいわゆる通史ではなく、プロローグ「海から見た歴史へのいざない」で全体のねらいと実際に行き交った船の構造が示され、第一部「ひらかれた海 1250~1350年」でモンゴル時代の海商による活発な交易活動が、第二部「せめぎあう海 1500~1600年」では、村井章介氏のいう「倭寇」的状況、本書では「大倭寇時代」のアナーキーな状況が、第三部「すみわける海 1700~1800年」では、強い「近世国家」の統制の一方でそれを他国に無理強いしないことでバランスがとれていた状況が、というように特徴的な100年を切り取って叙述されている点にある。まったくちがう姿をみせるそれぞれの時期の海域の様相が具体的に示されており、もっとも事前知識の少ない第三部はもちろんのこと、ある程度理解していたはずの第一部・第二部でも元慶元にもたらされた貿易品の具体像、16世紀を通じた日本評価の大転換など、使える史料が多数ありいろいろ勉強になった。もう一点の特徴は「理系の研究にふつうに見られるような研究者の連名による発表」を念頭に、各部における主編者・著者・執筆協力者の名前を挙げるのみで、個々人の文責を明確にしていないところである。本書をブログで紹介した海域アジア史の大先生たちは肯定的に評価しており、これからの潮流になっていくのかもしれないが疑問。そもそも本書のような概説書(一般向け)で、理系でもこのようなスタイルが一般化しているのだろうか。理系の連名論文は実験成果などむしろ個別の専門的研究で一般的なように思えるが。確かに概説として文体の統一などは必要だろうが、どの事例を取り上げるかは個々人の個性だろうし、共同研究と言っても基礎になっている多様な歴史資料の個別研究を信用しないと立ち上がらないはずである。編者は「新しい世界史」なるものを提唱しているが、世界標準教科書でもつくりたいのだろうか。