wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

黒川みどり『近代部落史』

金曜日は講義前に本屋巡りをするのが恒例になっているが、購入したのにまだ読んでいない本が古本屋に並んでおり少しショック。にもかかわらずこりずに新本を購入してしまい、すでに十冊以上が積んだままになっている。本書も2月刊行だがようやく今週になって順番がきたもの。差別の成立については授業でしばしば取り上げており、中世の被差別民集団について原稿の執筆を依頼されたこともある。ただしこれについては理不尽な仕打ちを受けたこともあり、少し距離を置くようになっていたのだが、近代史におけるこの問題に関する第一線の研究者の著書ということもあり購入してみたhttp://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/frame.cgi?page=series.sinsho/。内容は賤民身分廃止令から現代までの通史叙述で、被差別部落の起源を巡る議論と、運動側の動きに焦点を当てながら説明されている。起源については人種に拠るという説(現在では学問的に否定されている)が長らく大きな影響力を持っていたことが説明され勉強になった一方で、運動についてはその限界面が強調されすぎと感じられることが少なくなかった。この問題については、封建遺制もしくは近代の地域支配のなかで形成されてきたもので人権意識の高まりと国民融合によって解消されつつあるという議論と、民衆による差別意識は払拭されておらず部落民としての意識を持ちつつ他のマイノリティーと連帯していくべきという議論が併存している。著者は後者の立場に立っており、部落問題が人権一般に解消されることには明確に反対している。前者の立場に立つ研究を本文で引用しながら参考文献に掲載していないもの、著者の無意識の反映と読み取れなくもない。そのため解放運動が他の社会運動・平和運動などに組み込まれがちだったことには否定的で、それが限界面の強調につながっているのだろう。たしかに著者がいうように日本社会が部落問題を長らく内包してきたことは事実であり直視しなければならないが、歴史として捉えることも必要ではないだろうか。現代も差別そのものがなくなったわけではないが、80年代の一定の均質化と90年代以後の長期不況と格差社会の中でその構造は大きく転換したように感じられるのだが。