wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

千葉功『南北朝正閏問題』

東京行きのお供も新幹線でPCをいじったりしていたこともあり読み残してしまい、本日少し出かけた際に読了。表題について、国定教科書編集という発端(当初議論になったのは井伊による条約調印「違勅」問題だったとのこと)、編纂の中心にあった喜田貞吉は研究(純正史学)と教育(応用史学)は区別する立場だったが、宮中でも明確な決定がないため並立論をたてたが、それを国定教科書として強制することになった、火付け役になったのは小学校教員待遇運動の担い手だった民間の教育者で、それを報道で立ち後れていた読売新聞がとりあげ、官立大学に対抗心を抱いていた早稲田・慶応の漢学者が取りあげ、無所属議員にはたらきかけるが、桂内閣がそれを「籠絡」したため、議会で阻害されていた立憲国民党・伯爵同志会に持ち込まれ、元老山県有朋の怒りを買って南朝正統の勅定、喜田の休職という「第一の政治決着」が図られた。その後の教科書調査委員会で、南朝を正統として史実を認めるという議決がなされたが、少数意見であった北朝抹殺論に寄せた修正が政府によって行われるという「第二の政治決着」となったというものである。この問題は秋にも2大学で予定している概説系科目では必ず扱っており、勘違いしていた部分もあって詳細な経緯を知ることができたのは有益。

筑摩書房 南北朝正閏問題 ─歴史をめぐる明治末の政争 / 千葉 功 著