wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

宮本常一『生きていく民俗』

本日は午後の講義と夜の団交を大きな問題なく終えるも、帰路の年寄からのメールで一気に気分がめいる。いつまでこの状態が続くのだろうか。さらに重たいため非常勤先のロッカーに入れたまましてあるノートPCに入っている東京での史料調査のデータを持ち帰るのを忘れるという大失態。昨日も論文執筆に向き合うことができず、すっかり失念してしまっており新年の絶不調状態は続く。そういうなかでも電車読書は続き以前購入してほったらかしにしていた片割れhttp://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411637/。以前ブログで批判したもう一冊と異なりこちらは宮本らしい目配りの効いた生業史。しかも序の書き起こしの「生きてゆくということはほんとに骨の折れることである」から1965年刊行時の職業観と「農家へは嫁に行かぬ」という風潮の広がりからはじめて、「くらしのたて方」・「職業の起こり」の各章で自給自足社会から分業の展開と職業の貴賎観念の広まりについて概括され、最後の「都会と職業」で都市と商人・職人の世界に及び、最後に女中奉公以外の職業の拡大が述べられ、「女のおびただしい離村は、家業としての農業をつきくずしはじめている」とし、「家職・家業がしだいに姿を消して、子が親の職業を継がなくなることが一般になったとき、また出稼から解放されたとき、初めて近代化したといえるのであろうが、そこまではまだまだ遠い距離があるように思う」と締めくくられ、その問題意識が鮮明にあらわれたものになっている。それから50年を経た現在は宮本の考えるような近代化を果たしたのだろうか。その後に出稼を食い止めるものとして広がった原発が過酷事故を起こしたことを見るとやはりその問は重い。