wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

「沈黙ーサイレンス」

本日も姫路。ちょうど帰宅時間に表題の映画を上映していたため、サービスデイを利用して鑑賞http://chinmoku.jp/。使用言語は英語だが、遠藤周作の同名小説をもとにした(当方は名前だけは知っていたが未読)日本に潜伏したイエズス会宣教師をめぐる物語(本来はポルトガル語であるべきで、劇中でもそういう説明はされているが、マーッケットを意識したものだろう)。全編台湾ロケということらしいが、日本キリシタン史の専門家が時代考証に関わっているらしく(エンドロールがローマ字のためその方の名前も別の研究者の名前も確認できず、出演俳優も女優については全くわからなかった)、明らかにトラック用に開かれた山道が一部にみえた以外は、セットもしっかりしており、最後の主人公の葬儀場面では棺桶の出し方も作法に則ったもので、全体的には違和感はなかった。ただ被差別身分が動員されるのが一般的な奉行所の末端役人は全員栄養がよすぎ。物語のほうは最初は使命感に満ちた宣教師の視点から描かれるが、途中から弾圧する側の幕府(とりわけ長崎奉行)の邪教視するというより政治的判断が強調され、凄惨な拷問の一方で悪魔的な描かれ方ではなかった。とりわけ一部の魔術的キリスト教(いわゆる隠れキリシタン)が、政治的危険性はないとして奉行も知っていながら容認していたところや、日本独自のキリスト教の受容のされ方を棄教させられた宣教師の口から説明し、彼らの長崎貿易における役割をきっちり描かれており、「村の下手人」習俗も登場する。16世紀のキリスト教アジア布教でもっとも広がったのが恐らく日本で、もっとも厳しい弾圧体制をとることにもなった。これは中近世社会の転換を考える上でも興味深いところ。その一方で踏み絵の形式性や排他的態度といった日本社会に通底する行動様式も正面から描かれており、この作品は日本においても国際的にも様々な受け止められ方をすることになるだろう。もとよりこれは優れた作品であることの証し。なお作品としては棄教した師匠と日本に上陸した二人との欧州での状況が一場面欲しかったところ。