wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

兵庫県立考古博物館「築城ー職人たちの輝きー」

本日は朝目覚めてからふと思い立ち、表題の展示に出かけるhttp://www.hyogo-koukohaku.jp/events/p6krdf00000063in.html。招待券をいただいており、もともと行くつもりではなったのだが、昨日で郵送作業が終了し(46通で7860円、やはりメール便の廃止は痛い)、天気もよかったため、晩ご飯の買い物ついでにおやつの柏餅を買って向かった。3dayチケット消化という目的もあり山陽電鉄を使ったが、段取りが悪く11時過ぎに出たにもかかわらず、播磨町駅に着いたときには1時を回っていた。ただ喜瀬川沿いには遊歩道が整備され、今時珍しく子供が川遊びできるようになっており(写真左)、15分ほどのんびり歩いて館に到着。ちょうど運良く特展を担当した学芸員の方が行事で出ておられるところで、お忙しいにもかかわらずいろいろレクチャーしていただいた。展示は初期石垣の城として、安土城大坂城・兵庫城・姫路城下層・宇野構の金箔瓦・出土品からはじまり、慶長築城ブームとして姫路城・利神城・由良城の遺品など、天下普請期として篠山城名古屋城・六甲石切場軍学者がデザインした赤穂城と続き、初期の試行錯誤から規格化を経て「芸術品」へと展開する構造が端的に示されており、最後に伝統的な大工道具・石割道具も並べられていた。文書も安土城関連の「石工文書」2点と、池田輝政呪詛関係5点と、大坂包囲網の一環として慶長期の天守の存在が初めて明らかになった「岩屋城中請取状」があり、最後の文書は「畳」「はしご」「水桶」など動産まで記されたいまだ中世的様相が残されているように見える。そうした中で圧巻だったのが、名古屋市博物館蔵「築城図屏風」。石の修羅運び・牛車・担ぎ・背負いなど多様な運び方、傾斜をつけた石積みなどがリアリティをもって描かれているにもかかわらず、どこにも比定できないという角に五層天守を持つ城郭はほぼ完成。さらに人形浄瑠璃・三番叟・獅子舞・絡繰りなどの芸能、遊女屋・唐物屋・飯屋・饂飩屋などの町屋群まであるという構図。近世初期の城下町建設の賑わい要素全てを小屏風にぶちこんだというもので、非常に興味深くちゃんとした研究が待たれるところ。スペースは広くないがいろいろ勉強になった。館そのものも初めてになるが、常設展も縄文から中世兵庫まで概観されており、レプリカに触れる機会も多数作られていて子どもたちが楽しんでいるように見えた。帰路は魚住・江井ヶ島にするか迷ったが、須磨寺に行くことにし、16:00ごろようやく到着。宝物展示が閉まっていたのは失敗だったが、嘉暦2年の銘のある十三重石塔(銘は確認できず)などの石造物(写真右)と、立地環境について確認することができた。イメージ 2
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