wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

矢野荘高巖山

昨日とある企画に混ぜてもらい、矢野荘高巖山・権現山に登ってきた。現在の行政区分では矢野町森、中世には莇野村と呼ばれていたところに、磐座神社(中世は岩倉)が立地しているが、その名前の由来になった巨岩を神体とするのが権現山で(写真左上)、イメージ 3その奥に二つの巨岩が目印の高巖山がある。里山が放棄後に杉の植林、十分に手入れされないままイノシシ・シカで荒れ放題というおきまりのパターンで、登りはじめはまともな道もなく、谷を尾根に向かってよじ登っていくしかないという状況。しかも他の二名の同行者たちは登山用の杖を準備されていたが、当方はそれも持ち合わせず、かなりの難行で、大汗をかいた。手がかりとした山行記http://www.page.sannet.ne.jp/mahekawa/gongen.htmも2000年のもので、状況も変わり一時はどうなるか思った。ただ尾根にたどり着いてからはテープで順路が示されており、278.1mの高巖山頂上に到着。四方の眺望はさすがで西側には感状山城305mも望むことができる(写真左下)。イメージ 1さらに権現山を経て進んでいくと、磐座神社の奥の院に当たる龍王山に到着する。ここにはもともと廃寺になった円応寺にあった仏像が祀られていたといい、廃仏毀釈後に森の光専寺に移されたとのこと。ここも巨岩があり、小さな祠があった(写真右下)。イメージ 2そこから磐座神社に降るのだが、その道がまた荒れ放題で思いっきりこけたが、たいした傷を負うなく下山することができた。帰路にコンビニで換えのシャツを買い銭湯で足を入念にほぐしたが、今日はひどい筋肉痛に。12月の利神城に続いて老いを感じることになった。ただ大阪に戻って飲んだビールはやはり格別の味。