wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

池内敏『竹島ーもうひとつの日韓関係史』

本日は姫路で翻刻した検地帳の原本校正。各位のご協力で何とか読めない字を確定することができ、関連史料をみたことで、位置づけについても見通しが立った。これで解説も書くことができる。そんななか行きの地下鉄+αで読みさしを読了。すでに雑誌論文で結論は知っていたのだが、何となく衝動買いしたものhttp://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/01/102359.html。日韓の領土問題になっている竹島について、1905年の日本領編入以前に関する日韓両政府の主張が全く根拠がないことを緻密に論証。特に幕府・明治政府ともに明確に朝鮮領と見なしていた鬱陵島に捉えられていたことが明確にされる。新書という媒体ながら歴史学の実証手続きを一般に示すという点でも非常に有益。そこでは塚本孝説が徹底的に批判されていて怪訝に思ったが、全くの別人らしい。ただし著者の専攻は日本近世史で、もともと朝鮮近代史の堀和生氏と共著の約束があったのを「破る」という事情から、堀氏が提起したという日露戦争竹島編入の関係についてはあえて省略されている。とりわけ日本政府が1905年だけなら侵略との関係が問われるため、実証的には破綻しているそれ以前から日本領だったという主張を教科書にまで強引に押し込んでいる点からみても、やはり触れるべきだったのではないか。また戦後史については、当初のサンフランシスコ平和条約草案では日本の竹島放棄が明文化されていたものが、アメリカが日本政府の主張を入れるようになった裏事情(表は1905年の編入を正当と認めたため)。朝鮮戦争の最中にどうして李承晩ラインが設定できたのか(前から謎なのだが、とりわけアメリカの対応)。植民地代には鬱陵島在住の一部の日本人漁業者が朝鮮人漁民を使って竹島経営が行われており、1953年に島根県水産試験船(日本人漁民ではなく)が竹島の韓国人漁民を発見して領土紛争になったというが、そもそも「竹島問題」というのは具体的な漁業紛争として意味があるのだろうか。そういった点についての追求はなく、日韓の主張の対立点とその検証がなされるだけの叙述になっているのは残念。