wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』

本日は久しぶりに団交に出席。理事が出席するなど対応そのものはまだきっちりしているほうだが、給与で前進があるわけではなく、研究者としても扱われず、精神的な疲れは大きい。その前に図書館で知らなかった史料を見つけたのが、せめてもの救い。電車読書のほうはちょうど講義と重なったため、積読を飛ばして先週金曜日に新本屋でみかけた表題書を読了http://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/11/102349.htmlドイツ国民多数に支持されたヒトラー政権の概要に触れたうえで、ユダヤ人救援ネットワーク、いくつかのヒトラー暗殺計画の詳細、逮捕・処刑された人々の思想と家族への「最後の手紙」、刑死者の戦後における名誉回復の過程が紹介される。思想的にはマルクス主義者・社会主義者から自由主義者・新旧教会関係者まで、職業的にも軍人・外交官、知識人、教会関係者から一般市民・労働者までが、多様な協力関係を持ちながら活動していたことがわかる。その中で失業中の国民学校修了の家具職人、36歳・独身のゲオルク・エルザーは、演説予定会場に単独で3か月かけて爆弾を仕掛けたものの、濃霧で演説が早めに切り上げられたため目的を果たせなったという。全く知らなかったが明確な決意を有していたらしく、逮捕する側が予測していた背後関係は全くなかったらしい。その孤高の精神には驚嘆するばかりで、ほかの人々も含めて、著者が副題に「反ナチ市民の勇気とは何か」に象徴される強い意志が感じられるとともに、キリスト教精神が重要な役割を果たしていたことがわかる。それに比してナチスの遺族への処刑料徴収にはじまる徹底的な迫害はすさまじく、大日本帝国以上かとも思うほど。さらにそれは戦後にまで尾を引き偏見の目が続いていたこと、東西占領軍も「解放」を強調するため抵抗運動の存在を認めなかったこと、東西分断国家になったため、東ではキリスト教者中心の運動は無視され、西では左派系の活動がナチによって命名された「赤い楽団」の名によってソ連のスパイ網と理解され続け、エルザーの名は80年代になって知られるようになり、98年に故郷に記念館が建てられたことなど、長い真相の回復過程があったことがわかる。その点で過度にドイツを美化することはできない一方で、日本のようなここ20年のバック・クラッシュはやはり異常としかいいようがなく、押しとどめる勇気を持ちたいところ。