wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

細見和之・松原薫・川西なを恵『消えたヤマと在日コリアン』

本日は枚方3コマ。ワクチン接種で左手に痛みが残るが何とか乗り切る。そんななか県内(副題は丹波篠山から考える)ということもあって衝動買いしていた表題書を読了。多気郡にかつて存在した珪石・マンガン鉱山について、軍都としての篠山、朝鮮人労働者の流入と軋轢、強制連行と疎開で戦時中に最大のコリアン人口を抱え、戦後は創業が縮小、戦後直後に旧篠山町内に設立された国語講習所(ハングル)と住民との軋轢、1981年まで存続した篠山小学校民族学級について、2004年に発足した「篠山市在日コリアン足跡調査研究班の成果とその後の調査によってまとめたもの。「『篠山町百年史』や『篠山小学校120周年記念誌』など、丹波篠山市の公的な記録にはいっさい記されていない」ことから「消えたヤマ」と名付けられたというが、ややひっかかるのが民族学級はまだしも鉱山は旧篠山町に立地していないという事実。篠山小学校卒業で民族学級のことを意識できなった筆頭著者(京大教授)の想いはわかるのだが、篠山町の歴史のみで多気郡が語れるという篠山町帝国主義的な匂いが感じられなくもないところ。それはともあれ丹後大江のニッケルも有名だが、中国山地の東隅に多数の鉱山が存在していたというのは興味深い事実。

消えたヤマと在日コリアン - 岩波書店