wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

西谷正浩『中世は核家族だったのか』

本日は千里山。裏紙を試験要綱として印刷・配布していたことを、講義終了直前に気づくという大失態。それがなんと2015年に担当していた同一講義科目の試験要綱で、望んでいないことで奇跡が起こってしまう・・・。そういうなかで電車読書の備忘。春のフェアで購入して楽しみにしていたが、遠隔が続きここまでずれ込んでしまった。平安時代の大名田堵を大農の時代とし、流動的な労働力編成が不可欠だったことを示す。鎌倉は中農の時代として名主が3~6人程度くらいの男手が必要で、屋敷地には名主夫婦の世帯を中心に4、5世帯の核家族が暮らしており、分割相続が基本で兄弟も平等、村落は開放的でルーズ。室町は小農の時代で惣村は身分や経済力に上下のある不均質な集団だったが成員は対等という平等意識をもち、男子は成人すると親と別居し、核家族世帯で、豊富な若年労働力がプールされている一方で、村落上層から礎石建物に居住し跡取り夫婦と同じ屋敷地に同居して家名や家産を継承する直系家族の家が形成されたとする。全体としてはさほどの違和感はなく、室町の「住屋なき者」(竈を持たない家)は検断の対象としない、成人しているのに親に養われている男子が「母懸」と表現されているなど、貴重な指摘が多く、百姓の家産・農業労働の賃金についての検証も重要。ただ畿内の文献史料の精読から「中世」というおおくくりで叙述が進められると、民俗事例が異なる東国を含んでしまっているように見えてしまい、ちゃんと留保を書くべきだろう。また考古事例が北九州なのも気になるところ。また古代家族についても双系制を前提としているが、近年の研究は著者のいう核家族と近い認識に思える。そのほかに心覚え。39頁「平安時代後期に鉄生産が飛躍的に拡大」(こんなことが実証できればよいのだが)、70頁「中世には、食事は朝夕二回」(通説だが本当に実証されているのか)、97頁「名主層と小百姓層との違いは、身分差ではなく階級差」(上昇可能だから身分ではないということか)、101頁「鎌倉時代の平均の生存キョウダイ数はおそらく二人」(平均はそうだろうが、気候変動と同じく非常に流動的だったはず、これは100年ごとの人口停滞論も同様、経済史家はそれでよいのだろうが)、198頁元重氏について大名から偏諱をもらっている階層を地侍としてよいのか。

中世は核家族だったのか - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社