wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

淡路由良

昨日は淡路出張。ただし古代史のシンポの裏方で会場内には一切入らず。夜に懇親会があったため、そのまま私費で一泊し本日は巡検で念願の由良へ連れて行っていただく。写真を整理していると2007年に一度通っていたようだが、その記憶は全くなし。ところがその後に材木流通を考えるようになり、四国材木の中継点としての重要性に気づき、いくつかの論文でも取り上げた。その際に某歴史地理学者から「あそこは貯木場だったんですね」といわれ、一度実見してみたいと熱望し今回実現した次第。同所は三好氏以来の城郭(古城)があり、豊臣期には成山に新城も建設されたが、寛永11年に洲本に拠点が移される。明和3年には従来の東側の湊口が土砂堆積の影響を受けるため、北側に新川口が開削され成ヶ島と呼称されるようになった。文政6年には南側に今川口も開削され、幕末から明治にかけては台場建造のため、新城も破壊され、石垣も転用され現地の正確な縄張りは不明となっている。今回は渡船で島に上陸するとともに(300円)、現地を熟知した方に案内していただき大変有益。その詳細は省略するが、かつての新城跡からの眺望はまさに絶景(瀬戸内海国立公園の構成要素)。大阪湾口の要衝であることが実感できた。南に向かって正面は今川口、砂州で囲まれた内海がみえ、右側(西)が由良町、左には友が島が見え、紀淡海峡の押さえる位置にあることが実感できる。

f:id:wsfpq577:20200202221215j:plain