wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

斎藤修『環境の経済史』

先週のぐだぐだで連日になったが電車読書の備忘。ここ数年は山林資源流通史とそれに伴う環境変化について専ら関心を持つようになった(といっても4年前に提出した論文がいまだ出る気配はないが・・・)。そういうわけで比較経済史で有名な著者が表題の著書を出していることを昨年末に知り、衝動買いしてしまったものhttp://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0291330/top.html。日本森林について縄文以来保護されてきたという俗説。17世紀の森林破壊から18世紀の国家的保護へというタットマンによって描かれ、欧米の学者にも流布している構図に対して、日独中の比較から異論を呈したもの。まず17世紀日本の森林破壊の要因について、人口と食糧問題ではなく都市建設に要因があったとし、それは材木市場に由来する力で逆に18世紀以降は市場経済によって育成林業が展開したことで破綻しなかったとする。同じく中国でも市場が規制する育成林業は存在したが、19世紀にはむしろ法と秩序の弛緩によって過剰伐採が展開したとする。また明治日本は国家による徹底した森林管理というプロイセン林学を取り入れるが、むしろ社会の実情に合わず過剰伐採を招くことになり、近世モデルと折衷させることで森林被覆率を回復させ環境破壊を避けることが出来たとし、「市場か国家か」ではなく、「市場と国家」双方の関係によって森林破壊は避けられるとする。論点として理解できないわけではないが、18世紀日本の人口停滞を考えると、山林資源開発の飽和が関係しているはずで17世紀の破壊を都市建設だけに求めることは出来ないだろう(山林掟にも松根の採取規制など材木資源以外も含まれている)。また日本の森林に関して気候要因を通俗的見解と排するが、15世紀には畿内周辺では松林にすでに遷移していたと考えられるが、これは山林が完全に破壊されなかったためで、紀伊半島四国山地・日向なども多雨地帯だったからこそはげ山化しなかったとみるべきではないか。薪炭林が萌芽更新されるのも環境に恵まれたからこそといえよう。まあ論文も出ずにこんなことを書いても仕方ないのだが・・・。