wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵-米軍報告書は語る』

本日3回目の更新になるが、これから夜行バスで東京へ行くのでその前に2/28夜行バス消灯前に読了した表題書の備忘を残しておくhttp://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2882434。日本軍の白兵突撃・玉砕・非合理的な精神主義といったイメージに対して、戦時中に米陸軍軍事情報部が部内向けに発行していた広報誌IBによる日本軍分析に基づいて再検討を試みたもの。それによると日本兵はむしろ米兵に比べて体格が劣るため銃剣突撃や格闘戦を忌避し、集団で将校の命令通り射撃するという戦法でたたかっており、勝っているときは勇敢だったが負けると臆病になった。降伏を許されず最後までたたかったが捕虜は軍事情報を洗いざらいしゃべり、待遇に不満を持つ者をあった。また戦死者は丁重に扱われるが病気になってもろくな待遇を受けることができなかった。米軍の攻撃に対しては火力の不利を「合理的」に判断して奇襲戦・夜間作戦が重視されるが、戦法がワンパターンで見抜かれるようになっていた。また樹木に縛りつけられた狙撃兵や戦車への肉弾突撃など人命を軽視した戦法が、「狂信的」ではなく米兵の厭戦気分を誘うという「合理的」目的のために実施されていた。また白兵突撃一本槍ではなく、島嶼部ではレイテ・硫黄島・沖縄とトンネルを掘った陣地戦が「同じ戦法でたたかえば、負けるに決まっている」との判断から選択され、人命を尊重しない戦法ゆえの脅威を米軍に与えていたという。将校達は戦争の勝利というよりむしろ「ただ一度でいいから勝ちたかった」という「体面と志操が最も重要」だったという。このように狂信的・非合理主義ではなく、むしろなりふり構わない合理主義と捉えた点が特徴。もっとも将校の作戦指導と犠牲になった兵というむしろ古典的な図式に近いという評価も可能か。