wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

南河内史跡巡り

正月恒例となった史跡巡りの記録。1月2日は駅伝中継終了後(今年はコンディションが悪くタイムが遅かったため最後まで見てしまった。18位の走者の後ろに警察などの車両が連なっていたのでどうかと思っていたら、放送された以外にもリタイアがあったようだ)、近鉄汐ノ宮駅から道明寺駅まで乗り、まず道明寺天満宮へ向かうも、初詣のことを想定しておらず、予想外の混雑に驚く。参拝客が連なり屋台も境内いっぱいにあふれていた(
写真左)。復元された修羅だけを見学して早々に退散。続いて明治に破壊され隣に移転した道明寺へ。こちらは道真作と伝えられている国宝十一面観音が三ヶ日のみ特別公開されており堂内で拝観。また近世のものらしい叡尊像も安置されていた。そこから東高野街道を南下して誉田八幡宮へ向かうと、こちらも多数の参拝客で賑わっていた。さらに街道を南下して古市町へ。建物はすっかり新しくなっているが、街道や町へ入る際の屈曲などは雰囲気を感じることができ、竹之内街道と交差する中心に各町会の合同会館も立地している。また町内の西琳寺は寺地は移転し建物も新しいが、境内に礎石・鎌倉の五輪塔が集められている(写真右)。続いて古墳を主郭とした高屋城跡を確認し、そのまま街道を南下して喜志駅から実家に戻る。
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3日は全チームのゴールを確認することなく出発し、前日より1本(15分)早い電車で同じく喜志駅まで乗る。西に向かって歩くも橋の位置を勘違いして、かなり遠回りをして叡福寺まで辿りつく。こちらも人出は少ないとはいえ甘酒の振る舞いなどもされており、宝物館で平安仏なども拝観することができた。背後には伝聖徳太子墓があり、廻りの板碑や石塔類が相変わらず圧巻(写真左)。また対面の西方院には太子の乳母三名の女性のものとされる鎌倉期の石塔を確認することができる。前日の西大寺と同じく西大寺流の活動領域。続いて道を戻り通法寺跡と源氏三代墓へ。1年だけ非常勤で通った高校に近いため叡福寺はその時以来だが、なぜか墓は今度が初めて。国指定史跡ということだが石塔類は全くない土盛で(写真右は源義家墓とされる)、いつからそういう伝承になったのか調べていない。源氏の子孫だという現代人が奉納した石塔が並ぶ壺井八幡宮を経て、上ノ太子駅から帰宅。早足で歩いたため汗をかき、さらに三日はかなり寒かったが、いい目の保養にはなった。
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