wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

山田荘見学記

昨日は夜の研究会の報告者にちなんで、というわけではなく以前から気になっていた摂津国山田荘の故地を、スルッとKANSAI3dayチケットを利用して訪ねてきたhttp://www.surutto.com/tickets/ticket_3day.php阪神なんば線で三宮に向かい(甲子園に向かう客で結構混雑していた)、地下鉄・神戸電鉄箕谷駅からバスで終点の衝原へ。箱木千年家が目当てだったのだが、管理している所有者が留守で中に入れず外から見るだけに(てっきり公営だと思っていた)。軒の低さは外見から分かるが中から構造を見ることはできなかったのは残念。バスで丹生神社前(読みはたんじょうじんじゃ)まで戻り、さすがに90分という登山はためらわれたので山田荘故地を歩く。川筋に広がった谷田で圃場整備はされているが、中世荘園の雰囲気は非常に分かる。周囲の植生も中世から山論を繰り返しているだけあって、里山景観にかつて草山だったらしきところや岩盤が露出したはげ山まで目につく。荘鎮守の六条八幡宮神仏分離で決定的打撃を受けなかったようで瓦葺きの社殿のすぐ横に室町期建立の三重塔がそのまま立っている(写真奥に見えるのが本殿)。その山上には山寺無動寺があり、平安期の一木造りで2.8mの大日如来像・鎮守若王子神社はやはり室町期の造営で、塔頭跡と思われる平坦面も確認できる。その他にも路傍にいきなり中世の石塔(写真はいびつ)がみられるなど、二時間足らず歩いただけだがかなり豊かな文化財を残しており、ちゃんと総合調査をする価値があるところと感じた。帰りは奇跡的に30分に一本のバスに待たずに乗れ、駅前のうどん屋で昼食をとり急行バスで三宮に戻る。
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『実躬卿記』七を衝動買いする。徳治元年一年分で、東使二名が別々に来て帰ることなどいろいろ発見があり、紙背文書も前半は活字にする意味がよくわからない具注暦だったが、後半は大工相論・祇園会など盛りだくさん。