wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

法住寺殿跡ほか

先週は引きこもり生活にもかかわらず、原稿が五枚しか進まず絶不調が続いた。非常勤講師の特権の春休みのはずだが、気分が全く乗らなくなってしまった。週末は気分転換を兼ねて現説・研究会に顔を出す。土曜日午前中は法住寺殿南西隅・最勝光院の寺域とされる部分での一橋小学校廃校に伴う発掘調査の現説http://www.kyoto-arc.or.jp/News/gensetsu/191houjuujidono.pdf。ネットの新聞記事で見た石積み地業では法勝寺跡基壇のような大石のイメージがあったが、敷き詰められている礫は小ぶりだが、砂と粘土を積み重ねて整地するのは大変な作業量で、さすが院政期の土木工事というところ。その一方で全く意外だったのが、幅6m・深さ3mの東西方向の濠がこの整地土で埋められている点。掘削年代は不明だが、顔見知りの方にうかがうと平安中期の遺物もちらほらと出ているとのことで、この濠の開削主体が大問題となる。副産物だったのが学校の由来ともなった一橋が校庭に移築されていたのと、もとの場所が実見できたこと。一橋の中世売券を論文で使ったこともあり、感慨深い。先ほどの濠についてもこれとの関わりで考えられるかもしれない。周囲を歩き回った後は大阪へ戻り、イスラム都市史研究者の報告と西欧中世都市史からのコメントなどの研究会で、門外漢にもわかりやすく示唆的なものでいろいろ勉強になる。そのまま飲み会さらに二次会に突入し、大阪在住が自分しかいないにもかかわらず行きつけの店がないため迷惑をかけてしまったが、歴史学の現状についての海外経験豊かな方々との議論はありがたい経験になった。日曜日はそれとはうってかわってお世話になってる日本中世史研究者の著書についての、同分野の研究者二名の報告と著者によるリプライと討論。飲み会も含めてこちらは同学の研究者でないとできない話ができてやはり有益な時間となった。来年度の人事情報、再来年度の噂も聞いたが、関西の中世史がすこしでも活況になることを願うばかり。水曜日からは九州で、週末が雨の予報なのは痛いが、いろいろ見聞が深められれば、ここでも紹介したい。イメージ 2写真左が現場の遠景で中央当たりに石積み・断面に白線が引かれている上部が整地面。右が一橋(また移築されることになるのか)。
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