wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

親鸞展と法然展

結局、学生の提出物の整理は昨日で終わらず。電子化された名簿が存在しないため一から名前を打ち込まなければならず、百人以上の受講者がいるため時間がかかってしまった。それはさておき昨日見学した博物館展示に関する感想を書き留めておく。
京都市美術館親鸞展ー生涯とゆかりの名宝」http://www.asahi.com/shinran/親鸞の筆跡研究が精密化されており、真筆かどうかだけでなく何歳頃のものかも判明するようになっているらしい。群青地の絹本に名号を記すという行為は、蓮如が始めたものとばっかり思っていたが、親鸞に遡るものだった。この群青色は意識的に選択されたものなのだろうか。金泥経とも少し色調が違う気がするのだが。親鸞に関わる遺品の多くが高田派専修寺蔵で、現在は東西本願寺蔵になっているものの中にも後に所蔵されたものも少なくなく、室町期まで本願寺が弱小勢力だったことを裏付けている。生涯を描いた絵巻・掛け軸の絵伝が複数あるが、法然と比べて僧侶集団を描いたものが多い気がした。
京都国立博物館法然ー生涯と美術ー」http://honen800.exh.jp/pc/法然上人絵伝がほとんど全巻が展示されていた(展示替えはあるようだが)。特に室津の遊女場面には周囲に多数の船と家並みが描かれているのに初めて気づいた。絵伝には多数の異本絵巻と掛け軸があるようで、岡山県立博物館蔵「伝法絵」の塩飽地頭屋敷のなかで用いられる青磁、茨城常福寺「拾遺古徳伝」に描かれる建永の法難での処刑場面(なお解説によると近年では後鳥羽の私刑説が有力だという。絵伝を検非違使による処刑場面とする見解に昔から疑問を持っていたが、ようやくそれを解く手がかりが得られそうだ)、掛け軸に描かれる港と船の姿(室?)などは、当時の風景描写として大変興味が引かれた。全体を大判の図版で公開することは出来ないのだろうか。親鸞展と比べると美術品が顕密仏教色が強い雰囲気がした。これも後の両教団の置かれる立場の相違なのだろうか(解説によると法然教団の美術は異端色が少し垣間見えるも隠蔽されていくようだ)。
もともと来週に行く予定が何となく足を伸ばしてしまったため(後でみると石清水にいくべきだったようだ)、何れも1時間程度と駆け足で見ることになったが、色々勉強になった展示会となった。