wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

大阪歴史博物館「新発見!なにわの考古学2022」

その2。鎌倉期の渡辺、瓦が出土していることから「別所」ともされるが、やや小ぶりに見えたのは気のせいか。なお石鍋・底に「月」と記された白磁なども展示。また圧巻は近世梅田墓で、蔵骨器の文字からから北組・曽根崎・福島など周辺の村々の死者が埋葬されていたことが分かり、「接続村」が都市域に組み込まれていたことを示す。またまた副葬品としてミニチュアの蔵・徳利・犬など多彩なものがあり、これも農村とは異なるのだろうと思う。またあわせて以前に渡辺津から出土した「東大寺大仏殿」銘軒丸瓦なども展示。なお近世エリアに大念仏寺蔵の大永7年9月25日付「九相詩絵巻」後半部分が展示。たまたま本日からのようでラッキーだったが、前半をパネルで見せてほしかったところ。全く知らなかったものだが、五輪・宝篋印塔などの描写が興味深い。

大阪歴史博物館:第144回特集展示「新発見!なにわの考古学2022」

四天王寺宝物館「金剛組ー四天王寺を支えた宮大工たちー」

本日は博物館めぐりで、その1(これまで一括して記していたが、別の記事とする)として観覧。一般に「世界最古の会社」といわれるが、唯一の史料的根拠といえるのが、筆から19世紀初め以降に成立したとされる系図(ただし展示は複製)。そこには四天王寺創建時に異国から召されて残し置かれたという金剛重光以来の名前が記されるが、中世までで事績が記されているのは2名のみ。大坂の陣で焼失の後の再建からは事績が記され、系譜関係が明確に記されるのは18世紀後半ということが、ようやく確認できた。なぜ最初の言説が流布しているのかは謎。それはさておき、近世・近現代の造営資料、現在も1月11日に実施されているという手斧始(ちょんなはじめ)の関連資料など興味深い。また四天王寺・金剛家双方に所蔵される近世の伽藍図(建物の規模が明記)が並び、寺外の勝鬘院・安井天神・広田社・今宮社が含まれている。これらを一体的に捉えるべきことに気づいてから15年。いまだに論文を公表できていないのは情けない限り。なお観覧時に42頁のカラー・パンフが配布。

四天王寺からのお知らせ情報 - 和宗総本山 四天王寺

小田中直樹『歴史学のトリセツ』

結局、最低限の仕事をこなしただけで来週から秋の講義(4種類7コマ)。今週後半は出かけるため、講義資料の手直しにかかっているが、それにあわせて先週購入した表題書を読了。電車読書ではないが備忘を残しておく。はじめに「歴史って、面白いですか?」という問を立てて、ランケに代表される実証主義(記憶の排除)・公文書至上主義(ナショナル・ヒストリー)・資料批判(専門家主導の欠如モデル)を近代歴史学パラダイムとし、それを乗り越える試みとしての仏アナール・世界システム論・イギリス労働史学・日本の「マルクスウェーバー」(用語は用いられていないが戦後歴史学)、言語論的転回とその対応、最新の記憶研究、グローバル・ヒストリー、パブリック・ヒストリーと史学史の歩みをわかりやすく紹介し、現在もランケ学派のパラダイムにのっとった記述が優越しているが、最新研究にはパラダイム進化の萌芽があると結論づける。SNSでの専門家の評価は良さそうにみえるが、当方には一般書として以下の点で大きな欠陥があるように見える。①SNSでの非専門家である一般のひとびとの議論を手放しで評価(現実にはフェイクだらけ)、②ランケの科学主義を「専門家のコンプレックス」と貶め(フェイク系のよくとる手法)。研究対象の広がりは新たな実証・資料批判手続きとともに発展してきたことに触れずに、このような新書を出しても「誤読者」が喜ぶだけ。

筑摩書房 歴史学のトリセツ ─歴史の見方が変わるとき / 小田中 直樹 著

桑木野幸司『ルネサンス情報革命の時代』

本日はルーティン姫路。先日作ったはずの地図がなぜか保存されておらず、あわてて作成する羽目になったが何とか完成させる。引きこもりを続けているため(自治体史の校正はやっているが、めぼしい仕事はほとんど進まず)、飛び飛びになってしまった表題書をようやく読了。何となくタイトルに惹かれ衝動買いしたまま積ん読していたもの。地図上の発見と印刷術の普及があいまって、従前に比して大量の情報が流通するようになった状況への対応を描いたもの。それがただちに新規なものに向かうのではなく、ネオラテン文化とされるようなありうべき古典の集成と、それを前提とした修辞法(キケロー主義)、新奇なものも古典に「接ぎ木」して解釈するという博物学、といった状況が17世紀初頭まで続き、むしろその限界が認識されることで近代につながる「知」の枠組みが構築されるようになったという。知識史としてはオーソドックスな枠組みのような気もするが、出版のあり方などいろいろ勉強させてもらった。なおそうした状況の代表として古典からトピックごとに抜粋したアンサンブル集であるコモンプレイス・ブックの人の死に方を集めた部分を紹介して、「まだ年端もゆかぬいたいけな少年少女たち(!)が、教室の中でこの壮絶なリストとにらめっこして、ラテン語作文と格闘していたのだ」(179頁)とあるが、ここでいう「教室」とは何かがわからなかった。

筑摩書房 ルネサンス 情報革命の時代 / 桑木野 幸司 著

ひょうご歴史文化フォーラム「前期赤松氏の実像ー城郭と寺院からー」

以下のような催しが開催されますので、告知します。

rekihaku.pref.hyogo.lg.jp 

会場が不便ですが、もしお越しになるなら、午前中に城山城に登ることは可能です(車なら越部西公園駐車場から)。また播磨新宮駅から会場までの道のりに、たつの市埋蔵文化財センター(城山城などに関する常設展あり)、梅岳寺(中世城禅寺の開山霊岳宗古のものとされる室町の無縫塔あり)、天満神社(天文13年造営の社殿は重要文化財厨子銘文は地域権力の様相を伝えるものとして重要)などへもどうぞ。

ちらしも貼り付けておきます

 

渡辺尚志『百姓たちの水資源戦争』

本日はルーティン姫路(といっても先週は公務出張扱いになったので2週間ぶり)。久しぶりのデスクワークを終えて帰路も、JRが事故で10分遅れ。駅からのパラパラ雨に折りたたみ傘をささず濡れながらスーパーへ。この時間の楽しみおつとめ品の刺身を購入して外を見ると土砂降りに。傷ますわけにいかないので帰宅したが今度は傘が役に立たず2分で靴からびしょ濡れに。結局は10分遅れが命取りになった。そんななか電車読書は、刊行は2月だが5月ごろに購入した表題書。最初に一般的な説明があった後に、著者が藤井寺市史で扱ったという(意外だが、トップは佐々木潤之介氏だったとのことで、なぜ関西ではなく一橋だったのか謎)、古市郡で石川から取水しため池とあわせて計8ヶ村に関わる玉水樋組合の17世紀から明治までの水論の推移を紹介したもの。もともと最上流部の誉田八幡宮の宗教的影響力があった17世紀から、惣百姓による村が主体となる18世紀、それぞれの百姓成り立ちを主張する村々と裁許主体、大和川付け替え、綿作の広がり、天皇陵指定によるため池利用の変化(漁業の禁止など)、地租改正・所有権の絶対性など近代法の影響、社会・政治の変化が水論の展開にどのような影響を与えたのかが示されわかりやすい。なお文久の修陵について、宇都宮藩が単独でおこなったという説明は2014年刊行の原著を文庫本化する時に異論が出なかったのだろうか?

【文庫】百姓たちの水資源戦争 | 草思社 

結局、自治体史史料編の校正は本日到着。いまにして思えば論文にとりかかる時間があったのだがせんないこと。ダラダラと過ごしたツケでこれからは地獄。