wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

ブリュノ・ガラン『アーカイヴズ』

本日はリモート研究会でお勉強、と思ったらコメンテーターが昨日読み始めた表題書を引用(訳者大沼太兵衛氏のあとがきによると、「草稿全体に目を通した上で、詳細なコメントを下さった」とのこと、訳者は東大美術史専修からフランス国立古文書学校修士を経て国立国会図書館司書。恐らく同世代のフランス留学組か)。また金曜日まで通勤がないこともあって読みさしを読了。原著は2020年発行でアーキヴィストとしてキャリアを積み中世史の著作もあるという。紀元前3000年の「文書の部屋」から17000枚以上の粘土板が出土したというメソポタミアからはじまり、ギリシア・ローマ、ゲルマンからフランスを中心にアーカイブス歴史を概観。フランスにおける国立文書館・県・コミューンといった階層的な公文書の所蔵状況(革命直後に教会・貴族所蔵文書は公文書扱いに、以後は各宗派のアーカイブズ)と企業・政党・労働組合などの私文書の状況、国立古文書学校などアーキヴィストの養成課程と特に近年の電子化に対応した職務について説明されており、全体状況を知る上で有益。革命以後の文書管理政策が前提となって、アーキヴィストとヒストリアンの分化が必然だったのもよくわかる。

Q1042 アーカイヴズ - 白水社 

それにしても売券は、なぜ女性が主体になれるのか(紛失状の証判は男性のみ)・干支を記し続けるのか、など謎が多い。研究史的には無券文売買の再検討も必要だろう。

高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学』

本日は週一での姫路出勤日。朝の人出はいつも通りで、JRも辛うじて神戸で座れたぐらい。リモート続きで相変わらず爆睡時間も長いがようやく電車読書を消費。1903年ブタペスト生まれのユダヤ人で、6歳で超人的な記憶力・計算力を発揮し、17歳で数学論文を発表、23歳でベルリン大学私講師(非テニュア)となり「ゲーム理論」を提唱、1933年アメリカのプリンストン高等研究所終身教授となりアメリカ市民権を取得(ちょうどドイツではヒトラーが政権奪取)、40年には陸軍兵器局弾道学研究所諮問委員となりコンピューター開発(イギリスでは別の科学者がナチスの暗号解析のために独自に進めていたが、こちらは国家機密として1970年代まで秘匿されていたという)、ロスアラモス国立研究所顧問として原爆開発を主導、標的委員会に科学者代表として参加して京都への投下を主張、第二次大戦後もソ連への「予防戦争」を主張し、水爆開発もサポートする一方で、気象予測をプログラム化、何度も原爆実験に立ち会って1957年に陸軍省病院で国防長官以下に見守られてガンで死亡(うわごとで軍事機密をしゃべられてはというのもあったらしい)したという「軍人を志した天才科学者」、「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と言い放ち「人間のフリをした悪魔」とも呼ばれた一生を描いたもの。ドイツで毒ガス開発を主導したフリッツ・ハーバーとも接点があった可能性も指摘されており、理系的合理主義の極地としてすさまじい。政治的影響力もかなりあったようで、著者の楽天的なイフは別にして長生きしていたら戦後世界も変化していたかもしれない。

『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』(高橋 昌一郎):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部

小島庸平『サラ金の歴史』

本日はルーティン姫路、緊急事態宣言・GWの狭間だったが電車はほぼ変わらず、夕方の姫路駅周辺もそこそこの若者が活動。大学がリモート続きのため久しぶりの電車読書の備忘。タイトルでの衝動買いから積ん読が長くその間に評判を見かけたが、予想以上に面白い。戦前の「素人高利貸し」からはじまり、戦後の団地妻相手の金融、大手企業の「前向き」の資金需要からはじまった大手の創業時代、70年代以降の幅広い層への拡大、妻の蒸発と夫の13ヶ月目の自殺という借り手の意識、女性による明るい融資と男性により取り立て、殺人犯役になぞらえた「演技」指導と押領などの不正を防ぐためのカリスマ統治、バブルに乗らなかったサラ金と乗った銀行、金融庁自民党の動きと改正貸金業法の制定と、通俗道徳と同調圧力の中で消費主体となった戦後家族と企業社会の展開と、それに機動的に対応し貸し手リスクの少ない金融技術を編み出したサラ金の業態展開を通じて、戦後日本経済史が見事に叙述されている好著。あとがきで触れられる著者がこの問題にとりくむ直接のきっかけとなった北海道で接待を受けたプロミス営業マンが安田講堂経験者だったというのも、すき家などをも想起させ80・90年代社会の成り立ちを考えさせられる。また大手企業のほとんどが関西発祥なことも興味深く、法改正後にヤミ金からオレオレ詐欺に流れたとされるが、反対した橋下徹の名前があげられ吉村大阪府知事の来歴を考えても維新がどこから生まれたのかもよくわかる。

サラ金の歴史|新書|中央公論新社

そういうわけで惨状は広がるばかり。こちらは無事ですが昨日から口内炎がひどい、少し減ったとはいえ寝酒によるものか・・・。

兵庫県立歴史博物館「広告と近代のくらし」

本日は会議のため姫路出勤、一部参加者はZOOM、当方も会議室ではなく執務室でZOOM。そんなわけでちょうど初日となる表題の展覧会を観覧。明治の引札にはじまり、マッチラベル、百貨店のポスターと宣伝紙、雑誌広告、阪急、映画ポスターなどが並び世相を伝えており、やはり館蔵資料の豊富さは圧巻で撮影もOK。最後は新型コロナウィルス感染症と博物館と題して昨年の当館のポスター類が展示。今回が初仕事となる担当者に意見は申し述べたが、お手すきの方はどうぞいらしてください。といっても明日から5月11日までは臨時休館になってしまいましたが・・・。以後の情報はHPから要確認。

rekihaku.pref.hyogo.lg.jp

「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」

本日は朝一リモート、その後は月曜ゼミ準備のため千里山図書館で論文探索。全科目リモートのはずだが、そこそこ学生をみかける。初期鎌倉幕府政治史をはじめピッタリはまるものがなく悩んだが一応決着をつけて、帰路に表題の映画鑑賞。昨年投げ銭の見返りにもらうはずだったチケットをようやく引き取りそれを利用。水曜サービスデーだったこともあり、20名ぐらいは入っていた。当時の写真・生存者と遺族へのインタビュー・米軍の記録フィルムを用いながら、内務省キャリアにもかかわらず東京勤務が一度もなかったという島田叡が大阪府内政部長から45年1月に沖縄県知事に赴任し、自決前に「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を打電した大田實海軍司令官との交流、住民疎開・台湾からの米確保などの施策、米軍の沖縄上陸から首里撤退をめぐる牛島満司令官との軋轢、絶望的な南部への逃避行、周囲には生き延びることをすすめながら、自身は死に場所を求めて消息不明(20年後に自決の目撃証言が出たが真偽不明とされる)になるまでを描いたもの。家族の反対を押し切って県知事に赴任し、戦争協力の一方で住民保護を指向するという矛盾した立ち位置を極端に美化することなく、沖縄戦の実相を証言と石原昌家氏の解説も交えて示し入門編としてわかりやすい。米軍に投降した住民が日本兵の処遇について問われ「死」を望んだというのも生々しい。ただ住民の南部待避の惨状を説明するのに、降伏後の米軍フィルムを用いたのはやや違和感。

映画「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」公式HP

山本健『ヨーロッパ冷戦史』

本日は千里山遠隔。ただ専任サバティカルで三年生ゼミを半期だけ預かっているため近年の講座ものの目次を提示する必要があり(この10年いかに不勉強かということ)、午前中に大学図書館へ。事務に申請したので交通費は出るようだが、来週までにまた行く必要がある。そんなわけで読みさしの表題書をようやく読了。これまた秋のために衝動買いしていたもので、米ソの冷戦(ドイツ統一まで)を、「陣営」(ブロック)と「緊張緩和」(デタント)の交錯として読み解いたもの。前者は西側では大英帝国復活を指向するイギリス・独自外交とドイツ封じ込めを指向するフランス・一つのドイツ政策から東方外交へと向かう西ドイツそれぞれの思惑(イタリアはほぼ出てこなかった)、東側でもスターリン批判をうけたポーランドハンガリー、経済ナショナリズムで独自路線をとったルーマニアなど、独自指向の一方で結束のベクトルが働いていたこと、後者では「二つのドイツ」を認めるなど現状維持、軍縮・軍備管理、経済・文化交流、多国間といった方向性がある一方で、陣営の自律と緊張緩和はトレードオフの関係にあったという。また80年代は米ソ対立が再燃するもと、経済・交流デタントが継続し、アジアNIESに比して工業力の劣った東欧諸国が西欧とくに西ドイツへの債務超過を膨らませたことが、89年の急激な変化の背景にあったという。「トルーマン・ドクトリンは、ソ連スターリンにさほど重視されていなかった」をはじめ新知見が多数盛り込まれており勉強になった。ただ「フィデル・カストロ率いる社会主義政権が発足すると、ソ連フルシチョフがそれを大いに歓迎し、さらにキューバを守るため、核弾頭が掲載可能なミサイルをキューバに極秘裏に配備する」という叙述は直接関係ないとはいえ雑すぎるのではないか。

筑摩書房 ヨーロッパ冷戦史 / 山本 健 著

ウルリヒ・ヘルベルト『第三帝国』

引き続き電車読書の備忘。いろいろ評判があがっており、講義がらみで衝動買いしていたもの。「ナチズム研究の第一人者」(訳者でドイツ現代史専攻の小野寺拓氏の表現)という著者が、第一次大戦前の反ユダヤ主義の成立から、ヒトラーの自殺までをコンパクトにまとめたもの(以前に取り上げたユルゲン・コッカ『資本主義の歴史』と同じシリーズとのこと)。ナチスの軍拡・強硬外交が、第一次大戦の敗戦による平和意識をもつドイツ国民が不安に満ちた緊張感をもち、英仏の宥和政策で認められると、安堵の歓喜へ転換して支持を強めるというプロセスは大変興味深い。またポーランドをはじめとする東欧(最終的にはロシアまで)を植民地として認識し強制労働の対象としていた点は、大日本帝国とも近似しており(ある意味先行)、ナチス側がどのように見ていたのかも知りたいところ。もっともドイツ国民には形式的には高福祉を提供した点は(実際は高賃金も物資不足で貯蓄に回り、そのまま戦費に転用されたようだが)、かなり異なっているところか。独ソ不可侵条約ソ連は英仏の宥和政策に強い不信感を抱いていた)・独ソ戦のタイミング(ユダヤ人をソ連の北極沿岸の収容所送りを予定)などもわかりやすい。そうはいっても570万人のユダヤ人、20万人のシンティ・ロマ、100万人の非ユダヤポーランド民間人、280万人のソ連兵捕虜、300~400万人のソ連民間人が、戦闘行動以外で命を落としたというのは、やはり衝撃的。

第三帝国 ある独裁の歴史 ウルリヒ・ヘルベルト:一般書(電子版) | KADOKAWA 電車は多数の学生。こちらも月曜ははじまり、火・水は来週からだが、完全に集団的思考停止状態。ある意味でナチス支配下のドイツ人のようなものか・・・。