wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

山陰旅行記

8月22日4:50起床。すぐに出発し、6:00新大阪駅発の新幹線に乗車、岡山乗替で9時過ぎに米子着。徒歩で米子市立図書館に向かい、自費出版された鉄山師下原重仲に関する著書を閲覧。系図は面白かったが、播磨との直接的な関係は得られず。11時前の米子発の特急自由席で出雲市へ(今回利用したのは大阪から14000円で周遊区間特急乗り放題の山陰めぐりパス【e5489専用】山陰めぐりパス│トクトクきっぷ:JRおでかけネット)。列車組二人と合流し、駅で出雲そば。やや到着が遅れた飛行機組二人のレンタカーに同乗させてもらい、古代出雲歴史博物館へ。3時間近くじっくり展示を案内いただき(これは昨日記した)、レンタカーで松江市に戻りホテルにチェックインしてから、懇親会でいろいろ交流後に、安ホテルに戻りあっさりダウン。23日7時過ぎに起床も大雨。10分ほど歩いてレンタカー組のホテルに向かい8:30ごろ出発。9時過ぎに和鋼博物館http://www.wakou-museum.gr.jp/に到着し、映画「たたら侍」用に撮られた映像をみてから展示を観覧(その頃には雨はすっかり止んでいた)。10:30ごろに出発し、1時間ほどで金屋子神社に到着。隣接する金屋子神話民俗館http://www.wakou-museum.gr.jp/hirose/とあわせて観覧し、亀嵩駅舎内でそばhttps://www.kamedakesoba.jp/、一日目より素朴でそば粉の風味を堪能。ついで菅谷たたらに向かい、山内と高殿を実見。整備されたとはいえまだ居住者もおられ、今回で最大の見所に。高速で3時頃には宍道駅に到着し、そこで皆様とはお別れ。松江駅に向かい、バスで松江城へ。止んでいた雨がこのタイミングで降り出したが、慶長天守の内部構造が実見できたのは有益。また松江歴史館https://matsu-reki.jp/では、先行する都市白潟を前提に、低湿地を埋め立て北側の山を切り崩して堀をめぐらして松江城が築城され、都市松江が発展していく様相がわかりやすく示されていた。前に訪れた佐賀城もそうだったが、低湿地の城は堀が広大。夜は一人飲みで白いかの姿造りを奮発したこともあって、会計は6000円近くになり、前日のホテルでやはりダウン。24日は8時前の特急(なんと土曜日のこの時間帯は特急しかなく、チケットが役に立つ)で安来に向かい和鋼博物館へ。14時まで近世初頭の刀剣書をひたすらめくったが、2月に確認したもの以外に鉄素材に関する記述は全くみられず、様式が整序されていくのが確認できたのみという結果に。何かあると予想していただけに残念。前日の雨から不運は続いているようだ。仕方なく安来駅に戻り、特急で鳥取へ。チケットが往復で伯備線智頭急行を使うという縛りがあるためで、1時間の待ち時間で鳥取城の石垣は遠望できたが安い梨は見つけられず、シャーベットを食べたのみ。16:50ぐらいのスーパー白兎に乗り、佐用までは以前に利神城の報告書で書いた順路を確認。電光掲示板で平福の宣伝はされていた。史料調査という点では空振りに終わったのだが、いろいろ見学ができたのは有益。

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松江城天守

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菅谷高殿

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菅谷山内

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金屋子神

 

島根県立古代出雲歴史博物館「たたらー鉄の国 出雲の実像ー」

木曜日から山陰に出かけており、本日帰阪。詳細は明日記すが、とりあえず表題の展覧会のみここでは紹介。タイトルはややわかりにくいのだが、たたら製鉄の成立過程を「中世」に探るというのがメイン・テーマ。第1章「こうして鉄は生み出された」が完成形を絵図・遺構から示し、第2章「古代における鉄生産の展開」では出雲が必ずしも中心ではなかったことを、木簡・近江・東国などの出土遺物から紹介。第三章「鉄生産の技術革新」では遺構の変遷を示し、中国地方が優越しつつも安芸・石見が先行していたことを提示。第四章「くらしと流通のなかの鉄」では、中世における流通の発展こそがたたら製鉄成立の背景にあったことを文書・遺跡から示唆。第5章「鉄の国 出雲の繁栄」では近世の完成形を文書と鉄師の繁栄ぶりから提示するという構成。中世文書もいくつかならび、行く途中で同行者と話していた塩津港遺跡が大々的に取り上げられ、当方の扱った刀剣類も示されている。ただ企画者にもお話ししたが、「中世」というくくりでむしろ展示品は前期中心だったが、当方は「珠洲より越前」、すなわち室町期にこそ鍵があると感じており、発掘事例が乏しいとはいえ播磨についてももう少し評価してほしかったところ。なお天文とされる祭文はなかなか怪しげな口話体で、どう評価すべきか議論のある文書。なお展示は9月1日までで、しっかりした図録もあり興味のある方は是非どうぞ。島根県立古代出雲歴史博物館|サイト

京都文化博物館「洛陽三十三所4」

本日は大谷祖廟へ父の納骨。母がどう思うかわからないが、隣に並ぶわけでもないので我慢してもらうことにする。そんな中でタクシー利用の口実を作るためということもあって、表題の展覧会を観覧洛陽三十三所4 ―信仰のかたち― | 京都府京都文化博物館。すでに4展覧会をまとめた図録も購入済だが京都観音めぐり 洛陽三十三所の寺宝、やはり現物の迫力は別。とりわけ鎌倉期のものを16世紀に写したという「誓願寺縁起絵」は掘り出し物で、作事場面・処刑と見物人は迫力がある。他に奉加帳の現物が確認できたものもよく、行願寺蔵の建長・建武・永享・永正と書写奥書が並ぶの聖教も圧巻。なお展示は今週末までとのこと。新ブログにうつりリンク形式がまちまちになってしまったが、とりあえずこれからはタイトルのみでいくことにする。

吉見義明『買春する帝国ー日本軍「慰安婦」問題の基底』

本日は新居の書庫設置の件で打ち合わせ。28日の管理組合で了承が得られれば閉架式、得られなければ壁打ちつけで段取り。何とか前者が通ればよいのだが…。そういうわけでようやく読了した電車読書の備忘。

 

 

刊行前から期待していたシリーズ日本の中の世界史の一冊。ただ外務省警察史など政府側史料をもとに維新から1954年の売春防止法までを実証的・通史的に叙述したもので、からゆきさん・女衒などの国際ネットワークについては予想していたほどの叙述は含まれていなかった。第一次大戦後の欧米の政策転換をうけて東南アジア・香港では廃娼がすすむ一方で、中国本土・満洲では存娼につとめたとのこと。この時に存在していたネットワークこそが以後の状況を考える上で不可欠だと思われるが、当事者側の史料がほぼ残されていない分野だけに、やはり研究は困難なようだ。その一方で通史として示されたことで、維新後の北海道開拓以来、移民と軍隊には遊郭が不可欠という観念が一貫して存在しており、第一次大戦後に国際的動向を受けての廃娼運動があったにしろ、日中戦争以後の軍慰安所の拡大もある種の必然の成り行きだったことが明確に(もちろん著者は公娼制と軍慰安婦制度は区別)。なお国際法的には1934年発効の成年女性取引禁止条約に対して、政府内にもあった過去の同様の条約にあった植民地除外宣言撤回を、最終的に署名すら見送ったことが、以後の慰安婦送出の前提条件になったとのこと。それにしてもこの開発と遊郭という発想は近世の新地に直接つながるものだが、どこまで遡る発想なのだろうか。戦国の町立て法令にはそういった条項はなかったように思うのだが、前近代史としては大きな課題だろう。昨日ようやく成績処理を終え「夏休み」。姫路週二は変わらず、家がらみの雑用も多いが、春から働いていない頭を何とかして9月末締切の原稿ぐらいはちゃんとしたものにしたいところ…。

新居決定

本日仮契約を済ます。場所は阪急塚口駅徒歩14分の中古マンション。ただ書庫設置などリフォームの状況次第で、引っ越し時期は未定。今回の決断理由は以下の通り。①両親の死去により保険金・預貯金などまとまった現金が手に入ったこと。これなしに考えられなかった。②消費税増税、それにもまして統計をねじ曲げまくった安倍後の経済情勢を考えたときに現金での所持はあまりにもリスクが大きい。③公共をとことん切り捨てる維新行政のもとで次に予定されているのは水道民営化。次に災害に見舞われればニューオリンズ化することは確実。10月からの地下鉄料金も以前に値下げした180円が固定化。万博・なにわ筋線など身内企業と観光客に投げ売りして沈む前に逃げるのみ。④これから定職が決まることもなく、とりあえず姫路行きが少しはましになる場所を選択。かといって西に行きすぎて事業終了となるとこれまた目も当てられず。⑤もともとJR利用可能な地域で探したが、交通量が多く、窓が開けられる環境の良さを優先。ただ立花駅まで25分歩けば着く。採点も終わらず、落ち着かない日々がこれからも続くが、一生最大の決断となった。

佐藤靖『科学技術の現代史』

本日はルーティン姫路。昨日の公務出張で一日中外回りをして火傷に近い日焼けをしたせいかヘロヘロになりながらなんとか終える。そんななかでようやく読了したのが表題書。

www.chuko.co.jp

これまた秋の講義準備を念頭に置いて衝動買いしていたもの。第二次大戦後のアメリカを素材に現代科学技術の歴史を、1960年代までの軍産複合体のなかで巨大化・複雑化が進み、少数のエリート科学者が政治的発言力を持っていた時期。デタントもあって巨大科学技術が失速し、分散型・ネットワーク型のシステムが現れ始め、科学技術の不確実性やリスクへの認識が高まった1970年代。産業競争力強化が重要な政治課題となり、科学技術の経済的価値が追求される一方で、レーガン軍拡が連邦政府の財政を圧迫した1980年代。冷戦終結により、巨大軍事科学技術が縮小し、ネットワーク化の傾向を強め、インターネットの普及によるグローバル化の進展、技術開発の国際標準化とデュアルユース推進政策が採用され、国境の壁と軍民の垣根が低くなった1990年代。費用対効果・実証的なデータが重視され、リスク対応の際に利害関係者や市民の関与も必要と考えられるようになる一方で、イノベーション重視の風潮が大学の科学研究さえ定量的データで評価されるようになっている2000年代。と簡潔に全体状況が整理され、AIによる管理社会化・実証的データ万能主義・バイオテクノロジーの社会への応用により新しい科学技術と国家の関係が要請されているとし、技術決定論はミクロなレベルでは否定されるがマクロなレベルでは一定の妥当性をもち、技術が事実上の自律性を獲得しており、国家の側の意識と体制の変化なしには、技術と経済的合理性の論理にのみ込まれかねないことが危惧されている。全体の整理としては非常にわかりやすく、とくに現代史と現代中国的合理性の陥穽が示される一方で、著者自身は強く述べないが、世界の大きな変革が求められていることもよくわかる。もっとも日本は単にGDP比が急速に低下していくことが示されているのみだが…。

 

はてなブログに移行します

まだ試験の採点も終わっていませんが、8月末でブログ・サービスが終了という事情もあり、はてなブログhttps://wsfpq577.hatenablog.com/に移行予約することにしました。嘱託講師の任期が終わり、何とか「生き抜く」ために遅ればせながら始めたものですが、毎日少なくない閲覧者を迎えることができ、今日まで続けることができました。有言・無言の励ましをいただいた方々に深く感謝申し上げます。なおいただいたコメントは移行できないとのことで、非礼をお詫びするとともに、ご海容をお願い申し上げます。すでに記しましたように、両親の葬式という「最低限の義務」を済ましたことで、すでに思い遺すこともなく、サービス終了で当ブログも閉じるという選択肢もあり得ました。昨今の情勢を「いつか来た道」に例える向きにならうなら、当方は現時点を「昭和17年」と認識しており、もはやどのような「破局」を迎えるかのみが論点だと考えています。そのなかで「残されたわずかな日常」と「果てることのない混沌」を「生き抜く」ための、外界との接触ツールとしてブログを続けることにしました。改めてこれまでの御礼を申し上げますとともに、引き続きご愛顧の程をよろしくお願い申し上げます。